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半蔵の心得

第23回 鰻屋に学ぶ経営哲学

 私は鰻屋に行くと、必ず箸袋を記念に持って帰って来ます。「半蔵うなぎ紀行」でも紹介しましたが、私は鰻が大好きで、全国津々浦々の鰻屋を訪れました。

 ところで、皆さんはこの鰻屋について、不思議だと思いませんか?

 日本に住んでいると当たり前ですが、鰻は世界中のいたるところで獲れるのに、鰻だけに特化した店がこんなに多くある国は日本だけ。日本国内でも、北から南まで、鰻屋のない県はありません。そして、味も店の雰囲気も経営もさまざまです。

 ところが、近年残念ながら、鰻専門店の数は激減しています。一方、何百年も続いている店や繁盛している店もあります。

 それらのなかに、日本の問題点や復活のヒントがあるのではないかと思い、色々と調べてみました。

衰退していく鰻屋の理由

 私は鰻屋を探すとき、食べログを使います。

 とはいえ、点数が高ければ美味しいという訳ではありませんし、逆に低ければ味が悪いということもありません。特に地方の名店は過小評価されていると感じることが多々あります。恐らく、地方は訪問者数が少なく、都市部に比べて客の年齢層が高いので、食べログを利用するような人が少ないのでしょう。

 ですので、私は点数を判断基準にせず、創業歴と所在地を重視しています。老舗であれば必ず足を運びますし、なるべく色々な地域の店を訪れたいので、一つの街に集中しないように選んでいます。

 ある時、九州にある150年以上続く老舗の有名鰻屋に行きました。

 日本家屋の建物は趣があり、看板はいかにも老舗という感じで風格があります。店内は広く、100席ぐらいあったと思いますが、平日の昼間だったせいか、客の姿はまばら。しかし、その一帯は観光スポットで周囲の鰻屋は混んでいるようでした。

 職業柄、何でも観察して分析するクセがついている私は、店の様子を仔細に眺めていました。

 備品が並んでいる棚や、土産物コーナーは乱れていて放置されています。歴史ある鰻屋なのに、コーヒーのセルフスタンドが設けてあるのも、違和感あり。

 何より気がかりなのは、店員の様子。みな笑顔がなく、いかにも面倒そうに接客をしています。私と目を合わせることなくオーダーを取り、食事をテーブルに置いていきました。

 「そういえば、電話で予約を入れた時に対応した人も、雑な対応だったな」と、嫌な予感がしました。老舗にあぐらをかいて営業努力をしていないのなら、味にも期待はできません。私の予感は的中し、名物と言われる蒲焼は全く美味しくありませんでした。

 味もサービスもこんなにイマイチなのに店を続けていられるのは何故だろうとむしろ興味がわき、地元の人に尋ねてみました。すると、先代は明治時代の偉人と幼なじみで、それで名店だと言われていたとのこと。現店主になってから商業主義に走り、観光客向けのメニューがヒットしました。しかし、味が落ちたので地元の人は利用せず、観光客しか行かない店になってしまったのだと言います。

 事務所と店舗が別だという話を聞き、「一番の問題点はそこだろうな」と感じました。

 どんな企業でも、経営陣と現場が乖離している職場はうまくいきません。従業員が楽しく働いているのか、嫌々働いているのかは、働く現場を見てみればすぐに分かります。経営者が商売に対して情熱を持っていなければ、従業員のモチベーションが下がるのは当たり前です。

 

 後継者を育てていないのも、店が衰退する理由の一つです。

 私が足を運んだ鰻屋の多くは、高齢の夫婦で経営していました。

 山梨のある店では、「前は夜も営業していたけれど、最近は昼間だけなんですよ。体力的にもキツいし、後継ぎがいないので、あんまりムリできないんです」と店主が語っていました。

 その会話をしている最中に、娘さんらしき人が挨拶して出て行ったので、「お嬢さんは継がないんですか?」と聞いてみると、「自分のやりたいことをやりたいって言うから、しょうがないんですよ」との返答。

 ここの鰻はとてもおいしかったので、この店主の代で終わらせてしまうのはもったいない話です。しかし、後継者を意識して育ててこなかったのでしょう。

 後継者は自然と生まれるものではなく、育てる側が明確な意思を持って早い段階から育てておかないと、誰も継ぐ者がいないという事態になってしまいます。私は、多くの中小企業で、そういうケースを見てきました。鰻屋でも企業でも、人材が大切だという点は変わりません。

人気店にはおいしい以上の理由がある

 一方で、経営に成功している例もあります。

 関東で創業150年を誇る鰻屋は、重厚感のある日本家屋の店構えでした。店内に入ると、ごく普通の装飾でとくに目新しいものはありません。値段がリーズナブルなこともあり、地元の人にも人気があるようで、30ほどの席はほぼ埋まっていました。

 従業員の接客も気持ちよく、「今から支度するので、30分ぐらいかかりますが、よろしいですか?」と確認されました。注文してから裂くというだけで、否が応でも期待が高まります。その期待通り、外は香ばしく、中はふわふわ。少し甘めのタレが温かいご飯によく合い、絶品でした。

 会計の時に女将さんに「お店を創業されて、何年ぐらいになるんですか?」と尋ねると、「今で5代目、約150年くらいですかね」との返答でした。その後、タクシーの運転手に聞いてみると、5代目が20歳前後の時に先代は若くして他界し、後を継ぐことになったようです。

 いきなり継承したため、他店での修行経験はほとんどないでしょうが、小さいころから店をよく手伝っていたのこと。まさに「門前の小僧」だったのでしょう。もちろん、周りの人が支えてくれたからでしょうが、子供のころから家庭を通して経営哲学が浸透していったのではないでしょうか。

 以前、コラムで西岡常一さんの『木のいのち 木のこころ 天』(草思社)を紹介しましたが、西岡さんの教えに通じるものがあると思います。

 「教育は手取り足取り教えるものではなく、一緒に暮らして肌で感じることで育てるもの。自分で考えて習得していくものだ」という西岡さんの徒弟の育て方を、この鰻屋の先代も実践していたのではないかと、推測しました。

 先代が鰻屋に誇りを持ち、お客様を大切にし、仕事に情熱を傾けていたら、その姿勢は必ず子供にも伝わるでしょう。味も落ちることなく、地元の人から愛されているのは、先代の経営哲学を受け継いだからかもしれません。

 このようなことから、鰻屋で経営に成功している店には、以下のような共通点があると考えています。

 

 ・経営者自らが現場へ立つ

・お客を大事にし、向上心を忘れない

・時代に流されない商品を提供する

・同時に、時代に合わせたメニューにもチャレンジする

・従業員教育をきちんとする

・地域住民、コミュニティーを大切にする(一人勝ちするのではなく、得た利益を地域還元しなければ、地元ファンが出来ない)

・店内、店外の整理整頓を徹底する

鰻はなぜ高級食なのか

 ところで、日本は創業100年以上の老舗企業が多い国ですが、鰻屋もご多分に漏れず、老舗店が多く存続しています。夏目漱石が通った「すず金」(早稲田)は創業1877年(現在休業中)、ジョン万次郎や勝海舟も食した「やっこ」(浅草)は創業1789年。歴史上の人物の名前が出てくるあたり、風格を感じさせます。

 そもそも、鰻は5000年以上もの昔、縄文時代から食べられていたと言われ、古墳や貝塚から鰻の骨が出土しています。江戸時代までは丸のままぶつ切りしにして串刺しにし、焼いて塩や味噌、酢などをつけて食べていたようです。あまりおいしくなさそうですね……。

 これが植物の蒲の穂に似ていることから、「蒲焼き」という名前がついたと言われています(「ウナギと日本人」一般社団法人 全日本持続的養鰻機構)。

 ちなみに、割り箸を考案したのは江戸時代の鰻屋だとか。当時は「引き裂き箸」と呼ばれ、普通の箸のように再度使わないことで清潔さをアピールしたようです。

 私の経験則では、香の物(漬物)がおいしい鰻屋は、鰻もおいしいという印象があります。

 江戸時代の鰻屋は蒲焼き以外の酒の肴を置いていなかったので、客は鰻が焼き上がるまで香の物をつまみに酒を飲んでいたのだとか。池波正太郎さんも「おこうこぐらいで酒飲んでね、焼き上がりをゆっくりと待つのがうまいわけですよ、うなぎが」と『男の作法』(新潮社)で書いているように、それが粋な食べ方だったのです。それを分かっている鰻屋は、香の物にも力を入れていたのです。

 江戸時代から鰻は庶民でも食べられるようになり、屋台で売っていました。それが現在のように裂いてタレをつけて焼くようになってから、高級食になっていきます。

 また、今は「江戸前」は寿司で使われますが、江戸時代は江戸の川で育った鰻を指していました。江戸以外でとれる鰻を「旅鰻」や「場違い鰻」などと呼んで区別し、江戸前をもてはやしたので、関アジのようにブランド化していったのでしょう。

 『守貞漫稿』という江戸時代の資料によると、高級店で提供される江戸前の蒲焼きは1200文、今の価格で4000円前後もしたようです。

 当時、二八そばは値段が2×816文だったと言われていますが、いつの時代も、もりそば一杯の値段の10倍ぐらいが鰻の値段の相場なのかもしれません。

 

 参考文献:『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』(飯野亮一著 ちくま文芸文庫)

鰻の現状

 江戸時代に高級食だった鰻は、戦後も変わらず高級食でした。

 勝川俊雄氏(東京海洋大学産学・地域連携推進機構准教授)によると、鰻が安かったのは、バブル期以降の20年ぐらいの間だけだとか。今は鰻の価格は高騰していますが、1972年ごろのほうが高かったそうです。

 現在、鰻が獲れなくなったと騒がれていますが、今までも同じ危機は何度もありました。川をコンクリートで護岸してから天然鰻が減り、それに代わって養殖技術が発展していきました。

 ところが、鰻はいまだに生態が解明されておらず、養殖でも稚魚を海で獲ってきて育てるしかないのです。それだとあっという間に獲りつくしてしまうのは目に見えています。ニホンウナギは今や絶滅危惧種。そこで、90年代からヨーロッパウナギの稚魚を中国で育てて日本に輸入するようになりました。

 しかし、ヨーロッパウナギも乱獲で絶滅危惧種になってしまい、今は「鰻が足りない」と騒がれているのです。鰻の稚魚を獲れる地域を探しているようですが、そこで獲りつくしてしまったら同じことの繰り返しでしょう。

 そういう流れを見ていると、鰻産業は場当たり的にやってきたから衰退していっているのでは、と感じます。

 養殖ものは大きさがほぼ変わらず、脂の乗り具合も変わらないので、工場で気軽に扱えるようになりました。丑の日近くになると、どこのスーパーでも蒲焼きが大量に並んでいます。牛丼チェーン店でもうな丼を出しているので、鰻屋で高い鰻を食べる人が少なくなったのでしょう。

 鰻産業に携わる人達が、早い段階で漁獲量を規制していれば、今のような事態を防げたのではないでしょうか。スーパーで買えないなら、鰻屋に足を運ぶ人は増えるでしょうし、絶滅危惧種にならなければ値段はそれほど高くならないはずです。

 結局、持続可能な産業にできるかどうかは、目先の利益に走らないでいられるかどうかにかかっているのだと思います。

 

 参考文献:プレジデントオンライン 「うなぎ」はこのまま超高級品になってしまうのか

鰻が日本復活のカギ!?

 最近は、海外進出している鰻屋もあります。

 そういう鰻屋のオーナーとお話する機会があったのですが、現店主の考え方にはひじょうに刺激を受けました。

 創業100年を誇るそのお店は、今で4代目。4代目が事業を拡大する方向性に舵を切った際は、「店を増やしたら味が落ちる」と先代に猛反対されたそうです。昔から、「料理屋と屏風は広げすぎたら倒れる」と言われているので、それを恐れてのことでしょう。

 しかし、4代目は日頃から異業種の人と交流があり、他の経営者から少子高齢化が進む日本の将来性について聞くうちに、海外に出るしかないと決断したのです。

 鰻屋のように伝統食で、鰻自体を確保するのも難しくなっている今、海外に打って出るのは難しい決断です。ただ伝統を踏襲するだけではなく、攻めの姿勢がないと淘汰されるのを待つだけになるのかもしれません。この英断が功を奏し、海外店も人気だと言います。

 ワインに合う鰻のメニューを考える辺りも、大胆な発想です。

 温故知新という言葉もあるように、経験を活かしつつ、新しいものに挑戦していくことが大切です。一度失った技術や人材を復活させるのは難しい。だからこそ、目の前のことだけではなく、百年前や百年後のことも考えなくてはならないのです。

 そして、鰻屋が日本国内、あるいは世界で生き残っていくためには、鰻の確保が急務です。

 数か月前、世界で初めて鰻の完全養殖に成功したという報道がありました。これは国立研究開発法人の水産研究・教育機構が主導して行った研究で、人工ふ化させた稚魚を養殖池で成魚まで育てたそうです。

 実用化まではまだ時間がかかりますが、この技術が確立して、完全養殖の鰻を日本から世界に輸出できるようになれば、鰻業界も復活していくのではないでしょうか。

 日本では新しい産業が生まれないのが長年の課題になっています。もしかしたら、鰻がその希望の芽になるかもしれません。

  鰻は裂いて焼き上げるのには30分ぐらいの時間がかかります。いわば、究極のスローフード。最近は、すぐに料理を出すために作り置きしている店も少なくないようですが、あえてスマフォもいじらず、ゆっくりと待ってみてください。

 

 そういう心の余裕を持つ日本文化のよさを、大切にしていきたいものです。

 2019911

武元康明

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