半蔵門パートナーズ 半蔵門パートナーズ

お問い合わせ 資料請求
手紙・名刺をお持ちの方
お問い合わせ 資料請求
03-3221-3345

半蔵の心得

第26回 中村哲医師に学ぶ、本当のSDGsとは(前編)

 最近、SDGs(エス・ディー・ジーズ)という言葉を耳にする機会が増えました。

 私はこの言葉を聞くたびに、昨年非業の死を遂げた医師・中村哲さんのことを思い出します。

 中村医師はまさに30年以上の時間をかけて、命を懸けてSDGsを体現されてきました。その強烈な意思と、素晴らしい生き方を思い返すと、何か書かずにはいられなくなりました。中村医師が聞いたら眉をひそめて「僕はそんなたいそうなものではない」と仰るに違いありませんが、あえて言います。中村医師こそ真のヒーローであり、日本人、いえ、人類の誇りです。

 今回、中村医師の生きざまを振り返りながら、本当のSDGsのあり方について考えてみたいと思います。

世界の新たな潮流、SDGs

 SDGsとは「持続可能な開発目標」のこと。20159月の国連サミットで、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指すための国際目標を定められました。

 SDGs 17のゴール・169のターゲットで構成され、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」を合言葉に、実現に向けて国レベルで取り組むことになりました。

 私から見ると、この中でざっと数えても13個は中村医師の活動と重なっています。

 

17の目標は以下の通りです。(*○がついているのは中村医師の活動に当てはまる項目です)

. 貧困をなくそう / NO POVERTY

. 飢餓をゼロに / ZERO HUNGER

. すべての人に健康と福祉を / GOOD HEALTH AND WELL-BEING

. 質の高い教育をみんなに / QUALITY EDUCATION

. ジェンダー平等を実現しよう / GENDER EQUALITY

. 安全な水とトイレを世界中に / CLEAN WATER AND SANITATION

. エネルギーをみんなに そしてクリーンに / AFFORDABLE AND CLEAN ENERGY

. 働きがいも経済成長も / DECENT WORK AND ECONOMIC GROWTH

. 産業と技術革新の基盤をつくろう / INDUSTRY, INNOVATION AND INFRASTRUCTURE

. 人や国の不平等をなくそう / REDUCED INEQUALITIES

. 住み続けられるまちづくりを / SUSTAINABLE CITIES AND COMMUNITIES

. つくる責任 つかう責任 / RESPONSIBLE PRODUCTION AND CONSUMPTION

. 気候変動に具体的な対策を / CLIMATE ACTION

. 海の豊かさを守ろう /LIFE BELOW WATER

. 陸の豊かさも守ろう / LIFE ON LAND

. 平和と公正をすべての人に / PEACE, JUSTICE AND STRONG INSTITUTIONS

. パートナーシップで目標を達成しよう / PARTNERSHIPS FOR THE GOALS

 

 このうち、たとえば1の「貧困をなくそう」については、「2030 年までに、現在 1 1.25 ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる」「2030 年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、すべての年齢の男性、女性、子どもの割合を半減させる」といった細かい目標が7つ決められています。

 SDGsが注目されるようになった背景には、2006年に国連が機関投資家に向けて、財務状況だけではなく、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)を取り組んでいる企業かどうかを重視するように提言したことがあります。

 これは頭文字を取って「ESG投資」と呼ばれ、日本は2012年には0.2%だったのが、2018年には18.3%へと急増し、欧米に続く世界3位の投資額になりました。その額は232兆円にものぼります。

 つまり、貧しい国の子供を劣悪な環境の工場で長時間働かせて自社の製品をつくったり、森林を伐採しているような企業は評価されないということです。

 20198月にアメリカの主要企業の経営者でつくる団体、日本の経団連にあたる団体ビジネス・ラウンドテーブルが「株主第一主義」を見直すと宣言し、話題になりました。企業が説明責任を負う相手は、顧客、従業員、サプライヤー、コミュニティ、株主の5者であり、投資家の利益だけを最優先する考えをやめよう、という宣言です。今まで株価を上げたり配当を増やすことに腐心してきたアメリカの企業が、大きな転換期を迎えたのです。

 SDGsやアメリカの経済の流れを見ていると、これからの社会で求められているのは「善」ではないかと思います。

 企業の成長や拡大には、いずれ限界が訪れます。業界の再編が行われて、あちこちの企業が合併されたとしても、各業界で1つの企業だけになってしまったら意味がありません。自社の一人勝ちを狙って競い合うことから、共存する方向にシフトしていかないと、その業界は行き詰るだけでしょう。

 数字の次に追い求めるのが「善」であるなら、世界にはまだ希望が残されています。たとえ投資家が利益を得るためのターゲットとして環境ビジネスを選んでいるのだとしても、それで多くの人が救われるのであれば、歓迎すべきではないかと思います。

目の前の困っている人のために、何をできるか

 それでは、私達はどのような「善」を行えばいいのでしょうか。

 SDGsのような取り組みは、ともすると理想論や机上の空論と言われがちです。それを中村哲医師は少数の力で実現してきました。もちろん、誰もが中村医師のような活動ができるわけではありません。しかし、姿勢を学ぶことはできます。

 中村医師はNGO「ペシャワール会」の代表で、アフガニスタンで30年以上に渡って医療、農業の支援に取り組んでいました。

 中村医師は1984年にアフガニスタンの隣国であるパキスタンのペシャワールに赴任し、パキスタン人やアフガニスタン難民のハンセン病治療にあたりました。中村医師の信念は「誰もが行きたがらぬところへ行け、誰もがやりたがらぬことを為(な)せ」。まさにそれを体現していたのです。

 赴任しているときに、戦乱が続くアフガニスタンの人達から国に帰っても診療所もないし医師もいないと聞きました。元々、そのプロジェクトの任期は3年間で、1期で帰国するのが一般的でした。中村医師は家族同伴だったにも関わらず、任期を延長することを決意します。

 やがて、「とても6年や7年で済むことじゃない。覚悟せんとしょうがなかろう」と思い、自ら現地で医療活動する団体を立ち上げ、本腰を入れて取り組むことになったそうです。そして、1991年にアフガニスタンに診療所をつくり、医療活動を始めました。

 「普通のドクターなら、この状態を知って逃げるのはどうかしている。目の前で困っている人がいるのに見捨てるわけにはいかない」

 中村医師は、その時の想いをそう語っています。 

 これはまさに、SDGs の合言葉、「誰一人取り残さない」の精神でしょう。ゴールの1つである「3. すべての人に健康と福祉を」にあたる取り組みだと言えます。

 そして医療活動を続けていたところ、2000年にアフガニスタンを歴史的な大干ばつが襲いました。水がなくなり、衛生状態も栄養状態も悪くなり、診療所に運び込まれた子供たちが次々と亡くなっていく様子を中村医師は目の当たりにします。村には赤痢が発生し、飢餓に直面する人が400万人を超えました。村民はわずかな水を奪い合い、村を捨てて難民化する人が急増したのです。

 中村医師は、「私は村が、まさに『消えていく』様子を何度も見ました」と当時の様子を語っています。

 そして、医療よりもまず水の確保だと、白衣を脱ぎ、アフガニスタンの住人600人と共に井戸を掘りはじめます。

 「とにかく生きておれ!  病気は後で治す」

 そう思いながら、巨大な石に阻まれながらも1か月半掘り進めると、ようやく水が湧きました。このあと、一年に600本の井戸を掘り、20万人の水を確保したことで病気が減り、多くの人が村を離れずに済んだのです。

 この活動はさらに続き、2008年までに飲料用井戸約1600本、灌漑用井戸13本を掘ったと言います。これはSDGsの「1. 貧困をなくそう 」「2. 飢餓をゼロに」「6. 安全な水とトイレを世界中に」に当てはまる活動だと思います。

医者、用水路を掘る

 困難はさらに続きます。

 ようやく状況が持ち直しつつあった2001年、アメリカで9.11のテロが起き、アメリカ軍はタリバンに報復を始めました。アフガニスタンが戦地となり、中村医師達はやむなくパキスタンに移ります。

 翌年、アフガニスタンに戻って来たときには農地は荒れ果てていました。国連は難民化したアフガン国民を故郷に戻すためにお金を渡しましたが、帰っても生活できず、途方に暮れる国民が続出しました。結局、また難民に戻るしかありません。

 その光景を見て、「今一番必要なのは食うことだ」と用水路を掘ることにしました。

 「医師を100人連れて来るより水路を1本つくるほうがいい。問題の背景にあるものを絶たないと病気は減らない」

 そう意思を固めて、2003年、1年を通じて水が枯れないクナール川から、ガンベリ砂漠まで25キロの用水路を掘るという一大プロジェクト「緑の大地計画」をスタートしたのです。土木技術も用水路の技術も知識もない中村医師は、日本の専門書を読み漁って自ら図面を引き、指揮を執りました。

 この用水路にアフガニスタンの未来がかかっていると地元の人達を説得し、農民はスコップやつるはしで荒れた土地を掘り進めました。作業をする住人の中には、タリバンの戦闘員だった人も、米軍に協力した元傭兵もいました。みな食べ物がなく、お金がないから兵士にならざるを得なかったのです。

 砂漠での作業中、熱中症でバタバタと人が倒れていきましたが、みな手を休めませんでした。なぜなら、「三度三度ごはんを食べたい」「家族揃って自分の故郷に住みたい」という強い思いがあったから。昨日までは敵同士だった人も一丸となって、荒れた土地を開拓していきました。

 「命の前には新政府派も反政府派もありません。すべての有数が無限大で割ればゼロになるように、どんなに人為の壁が厚くとも、圧倒的な自然の恵みの前では対立を解消する」

 中村医師はそう語り、自らショベルカーのハンドルを握っていました。

 そして、最初の1年で5キロ開通。乾いた大地を水が潤していくのを見て、アフガンの人達は「先生、これで生きていけるよ!」と歓喜します。その後も掘り進めて、用水路の周辺は次々と緑の田畑が広がっていきました。

 やがて、着工から7年で25キロの用水路が完成。草木一本生えなかった砂漠が美しい緑に覆われた街になったのです。農民は武器を持たずに、農業で暮らしていけるようになり、難民になっていた村民たちも村に戻ってきました。このプロジェクトで65万人が潤ったと言われています。

 このプロジェクトも、SDGsのゴールのうち、いくつも実現しているのではないでしょうか。

 「1. 貧困をなくそう 」「2. 飢餓をゼロに 」「3. すべての人に健康と福祉を」「6. 安全な水とトイレを世界中に」「8. 働きがいも経済成長も」「9. 産業と技術革新の基盤をつくろう」 「10. 人や国の不平等をなくそう」「11. 住み続けられるまちづくりを」「12. つくる責任 つかう責任」「15. 陸の豊かさも守ろう」「16. 平和と公正をすべての人に」「17. パートナーシップで目標を達成しよう」

 このプロジェクトだけで12個に該当するのではないかと思います。

 それでもアフガニスタン全土のわずか数%の人しか救えず、多くの人が飢餓に苦しんでいるので、中村医師は自分たちの技術をアフガニスタン全土に広げようと活動を続けていました。

 さらに、イスラム教のモスクと神学校を建設して、子供達が教育を受けられる場もつくりました。これは「4. 質の高い教育をみんなに」に当てはまります。

 イスラムの神学校「マドラサ」はイスラム教の教えだけではなく、数学や地理、科学などの一般教科も教える場です。図書館や寮を備えて、恵まれない孤児や貧困家庭の子供に教育の機会を与えます。アフガニスタンが貧しい国でもストリートチルドレンが少ないのは、マドラサがあるからだと中村医師は分析していらっしゃいます。

 用水路の近くにマドラサの建設予定地があり、「つくりたくても資金がないし、アメリカ軍から攻撃を受けるので援助団体もつくりたがらない」と現地の人から聞きました。そこで、用水路の建設で資機材は充分にあるので、中村医師は「誰も怖がってつくらないなら、建物だけつくりましょう」と申し出ました。すると、現地の人達は用水路以上に大喜びし、着工式で「これで自由になった!」と叫ぶ長老もいたと言います。

 「やはり、日本だけは分かってくれる。兵隊も送らない」と言う人もいたそうです。

 クリスチャンである中村医師が、宗教の垣根を超えてこういう活動をするのは、とても意義深いことです。

 国連が世界をよりよくするために17の目標を掲げた、その遥か前から、アフガニスタンという決して安全ではない国で、これだけの国際貢献を成し遂げた日本人がいたことに、改めて驚くと共に、胸が熱くなります。

本当の社会貢献とは何か

 中村医師の功績を語るには、とても誌面が足りません。それでもまだ志半ばであったのではないかと思います。

 2019124日、中村医師は銃撃され、73歳で亡くなりました。

 生前、中村氏はインタビューでこう語っています。

 「私は、拉致された経験はありませんが、体のすぐ横を銃弾が飛んでいったり、そばにロケット弾が打ち込まれる経験もしました。危険が日常的になると、人間はよくできたもので慣れてくるんですね。人は順応するものなのです。〈中略〉いつの間にか、『死ぬときは死ぬさ』という気分に支配されます。〈中略〉もちろん、犠牲者の中に自分が入るかもしれないだろうとも思います」

 州政府や警察には「中村医師が襲撃される」との情報が繰り返し寄せられていて、中村医師自身も知らされていたと言います。自分が襲われると分かっていても逃げることもなく、最後の最後まで、灌漑事業をやり遂げようとしていたのです。

 中村医師は、「信頼は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが人の心に触れる」と語っています。

 無念ですが、中村医師の飾らない人柄は現地の人達からも愛され、多くのアフガニスタンの人が中村医師の死を悼んだと言います。

 さらに特筆すべきは、中村医師は、自分の活動は「平和運動ではなく医療の延長」だとインタビューで答えていることです。

 「現地で長く仕事ができたことは幸せだった。見かけの異文化を超えて、人として共有できる何ものかを求め、私達自身が豊かになってきたような気がする。それは国際化とか、国際貢献とか、政治的プレゼンスとか、組織の利害とか、いかなる名利からも自由な地点に私達を立たせてくれる。」(中村哲著『辺境で診る 辺境から見る』石風社より) 

 日本の講演会でも、自分は国際貢献をしているつもりはないと語っていました。

 会場の人に「私達は何をすればいいのか」と聞かれて、「皆さんも目の前の人にできる限りのことをしてください」と答えていました。良心を持って正しい姿勢で行動すれば、それだけで社会貢献になるのではないでしょうか。

 中村医師はアフガニスタンで診療所を開くために、現地のあちこちの集落を訪ねて住民に説明をしていました。その席で、「私達を気まぐれで助けて、すぐにいなくなってしまうのではないか」と住民に問われて、中村医師は「私がいつか死んだとしても、この診療所は続けていく覚悟です」と答えていました。その言葉通り、中村医師は現地の人で診療できるように訓練しました。

 住民からそのような懸念が出たのは、おそらく、今までもさまざまな国際的なボランティア団体が援助を申し出ても、すぐに撤退してしまっていたからではないでしょうか。アフガニスタンは多民族、多言語国家であり、部族ごとに分断されていると言われています。それぞれの部族の伝統を重んじるので、欧米流の考え方やノウハウを持ちこんでも受け入れてもらえず、うまくいかないケースが大半のようです。

 中村医師は、それぞれの部族の考え方を理解し、コミュニケーションを取りながら話を進めてきました。その姿勢に現地の人からの信頼を得られて、長く活動を続けられたのでしょう。

 中村医師は現地適応の条件として、次のように述べています。

 「人の意思疎通は言葉以上のものが必要だ。明確な目標、毅然たる意思表示、誰もが分かる行動性、命も惜しまぬ楽天性、そして仲間への配慮と適度の社交性」

 一方的に善意を押し付けるのではなく、現地の人とやりとりをしながら最善の方法を探る。それが本来あるべき社会貢献なのではないかと思います。 ~後編に続く~

202033

武元 康明

 

半蔵紀行「絶滅危惧種を食す~うなぎと私~」におきまして、私の趣味「うなぎ」からもSDGsについて触れております。

手紙・名刺をお持ちの方