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半蔵の心得

第30回 あなたにしかできないこと(後編)

 前回はコロナ禍で私が痛感したことについて、前半の3つをご紹介しました。

 私にとってコロナ禍での一番の教訓は、「心技体」の「心」がいかに重要であるかという点でした。私なりの「心技体」についてはこのコラムでも何回か触れてきましたが、理念や信条、価値観や行動原理といった、その人の内面を形づくっているものです。私がヘッドハンティングで候補者や企業と面談するときは、「心」に一番重きを置いてきました。

 その「心」が試され、本当のその人自身が現れたのが、コロナ禍だった気がします。

 今回は後半の2つについて紹介し、これら5つの問題を解決・解消するために何をすべきかについて、私なりの考察をお話しします。

④ 「柔らか頭」の重要性

 コロナ禍で再認識したことの4つ目は、「柔らか頭」の大切さです。柔らか頭とは、自分で考える頭+柔軟性の意味だと思ってください。

 柔らか頭を、今年大ヒットしたアニメ「鬼滅の刃」から考えてみます。

 「鬼滅の刃」の原作は少年ジャンプで連載していた子供向け漫画にもかかわらず、大人もハマる人が続出し、社会現象にまでなりました。

 いわゆる知識人と呼ばれる人たちにも評価が高いのが、他のアニメと一線を画すところ。その理由として、鬼は西洋的な社会、現代人を表していて、人間は昔ながらの日本的な社会とそこに生きる人を表しているという意見があります。それを聞き、社会勉強を兼ねて、どのようなアニメなのかを観てみることにしました。

 「鬼滅の刃」(以下、鬼滅)を観たことのない方のために、簡単にストーリーを紹介します。

 この作品は大正時代を舞台に描かれていて、人を食べる鬼が人間社会を脅かし、主人公の少年、竈門炭治郎(かまど たんじろう)たちが鬼を退治するために奮闘するというストーリーです。鬼退治という設定自体は昔話でもおなじみだと思いますが、この鬼たちは人間と同じ姿をして人間社会に紛れ込んでいるというところが現代風の設定になっています。

 炭治郎は家族を鬼に殺されてしまいます。唯一生き残った妹の禰豆子(ねづこ)も襲われて鬼になってしまいますが、人を食べたい気持ちを理性で抑えています。禰豆子が竹を咥えているのは、人を襲わないようにするためという設定です。

 炭治郎は禰豆子を人間に戻すために鬼を退治する鬼殺隊に志願し、行く先々でさまざまな鬼と戦い、仲間と出会いながら、強く成長していきます。

 普段アニメを観ない大人としては、随所に盛り込まれているギャグや、アクの強いキャラクターに辟易してしまう部分もあります。しかし、そのキャラクターたちが戦いの場面で見せるシリアスな表情や、複雑な生い立ち、葛藤する内面などを見ていると、大人がハマるのも頷けます。

 とくにセリフは考えさせられるような名言が多くありました。ここで心に残ったセリフを3つご紹介します。

 

 「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」

 炭治郎は初めて鬼と戦ったときに、とどめの差し方が分かりませんでした。そこに、炭治郎の師匠となる鱗滝左近次(うろこだき さこんじ)が現れます。鱗滝に鬼を倒す方法を聞いたところ、言われたのがこのセリフです。このときは結局、夜が明けて日の光が当たって鬼は死にました。

 鬼退治の素人である炭治郎に対して「自分で考えろ」と突き放すのは、冷たい気もします。しかし、1つ1つ答えを聞きながらではなく、自分で試行錯誤して答えを導き出すのが、一番自分の血肉になりやすいということを示しているのでしょう。

 鬼滅では、「自分の頭で考える」というセリフが何回か出てきます。そこからも、自立する大事さをメッセージに込めているのが読み取れます。

 

 「一つのことしかできないなら、それを極め抜け。極限の極限まで磨け」

 炭治郎は鬼殺隊としてはヒヨッコで、強い鬼が相手だと一人ではなかなか倒せません。そこに泣き虫で極端に怖がりの我妻善逸(あがつま ぜんいつ)などの仲間が加わり、弱いながらもみんなで協力しながら鬼を倒します。

 善逸は、修業時代に師匠から教わったことをなかなかできるようにならず、諦めようとしていました。6つある攻撃の型のうち、1つしか習得できなかったときに、師匠が言ったのがこの言葉です。

 これはあらゆる仕事において通じることだと感じました。

 ヘッドハンティングでもあらゆることをこなせるオールラウンダーより、1つの分野に精通している人のほうが企業とマッチングしやすい傾向があります。コツコツと1つのことに努力を惜しまない姿勢が、キラリと光る個性を磨き上げるのです。

 

 「鬼は人間だったんだから。俺と同じ人間だったんだから。(中略)鬼は虚しい生き物だ。悲しい生き物だ」

 鬼滅の人気が高いのは、鬼=悪者という単純な図式になっていないところでしょう。鬼殺隊に成敗され、息絶えるときに人間の心を取り戻して後悔する鬼もいます。

 多くの鬼殺隊の隊員たちは鬼=悪者ととらえて、殺すときも躊躇しません。しかし、先輩隊員が死にゆく鬼を足蹴にしたときに、炭治郎はこのセリフを投げかけます。

 自分の家族を鬼に殺されてもなお、敵と味方の二項対立で考えるのではなく、鬼に対して慈悲深さを見せるところに、「柔らか頭」を感じました。

 コロナウイルスも、敵と見なして完全に駆逐したいと考えている人たちもいるようですが、それは無理な話。人間はもともとウイルスと共存共栄して進化してきました。細胞の中心にある細胞核はウイルスが起源だという説もあります。そう考えると、ウイルスなしには人間はここまで繁栄できなかったということです。

 ウィズコロナという視点になれば、感染者を解雇したり、他県ナンバーの車に嫌がらせをするような差別的な思考にならないはずです。自分もいつかかかるかもしれないし、実はもうかかっているかもしれない。そう思ったら、感染者を排除するのではなく、「労わる」という感情が生まれるのではないでしょうか。

 この作品では、鬼のトップは残忍で無慈悲で、部下に絶対的な服従を強い、気に入らない行動をした部下をためらいなく殺します。鬼の世界で精鋭になるには、「十二鬼月」のメンバーに選ばれないといけません。そのためにはより多くの人間を殺して食べるのが近道とされています。

 つまり、柔らか頭を奪われるのが「鬼」になるのだということです。トップの言うことに疑問を持たず、最短で成果を出さなければならない。そんな欧米型の競争社会に生きているのが鬼だと思います。

 鬼にならないためには、どうすればいいのか。それはやはり、自分の頭で、かつ柔軟に考える思考を身に着けるしかありません。人間でいるためにも柔らか頭は武器になるのです。

 ところで、歴史学者の小和田哲男さんによると、鬼はもともと疫病を象徴する存在だったそうです。2月の節分は、平安時代の宮中行事の「追儺(鬼やらい)」が起源とされていて、鬼の姿をした疫病を弓矢で追い払って病を退散させようとしていました。

 遣隋使や遣唐使など、海外を行き来するようになってから、さまざまな感染症が日本にもたらされました。そこで、「鬼は外」と疫病を国外へ追い払おうとしていたという説もあります。

 そして、毎年節分を行っているように、疫病は繰り返されるので、完全に退治することはできないわけです。

 こういったことを考えると、鬼滅が今のタイミングでヒットしたのも分かる気がします。鬼=疫病と戦いながらも根絶するのではなく、共存していこうとする姿に、知らず知らず我々は共感しているのかもしれません。

⑤ 見えない不自由さに縛られている

 5つ目に感じたのは、「自由の大切さ」です。

 私は仕事柄、人と会うことが多いのですが、今回のコロナ禍では、コロナを過剰に怖がる人と、「たいしたことがない」と考えている人に二分されると感じました。過剰に怖がっている人は、コロナという病自体を恐れているのと、感染させたらバッシングされるということに怯えているような気がします。

 このうち、「感染させたらバッシングされる」というのは、日本人特有の感情のように思います。なぜ、日本人は感染者をまるで鬼のように目の敵にするのか。医療従事者の子供まで、「保育園に来ないでほしい」と拒否されたと聞きました。

 最近、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』(紀伊国屋書店)という本が売れています。

 フロムは『自由からの逃走』(東京創元社)で有名な社会心理学者です。『愛するということ』はいわゆる恋愛本ではなく、人間の本質を考察した哲学書です。60年ぐらい前に出版された本ですが、まるで最近書いた本のような錯覚が起きます。

 フロムの言う愛とは突発的に生まれるものではなく、愛するには技術が必要だと説きます。愛は恋のように落ちるものではなく、踏み込むものなのだ、と。多くの人は愛されるためにどうすればいいのかを悩みますが、愛することのほうが大事なのだ、と普遍的なテーマを提示します。

 ただし、「愛」の概念が、日本では少し分かりづらいように感じます。したがって、この本での愛を日本で使われている「LOVE」ととらえると、あまりしっくりこないかもしれません。私の感覚では、「良心」や「慈愛」という意味のほうがしっくりきます。

 良心に基づいて利他的な行為をするのがフロムの言う「愛する」であり、そのためには技術が必要なのだと考えたら、分かりやすいと思います。

 フロムは、自分の家族を愛するのはたやすくても、それ以外の人を愛するのは容易ではないと説きます。確かにその通りで、コロナに感染したら謝罪をしなければならないのは、多くの人が良心をなくしているからかもしれません。自分の家族が感染したら謝罪を求めたりはしないでしょう。

 以前から、日本は38℃の高熱が出ても会社を休むのはとんでもないという風潮がありました。自分の家族なら、「高熱が出てるのなら休めば?」と止めても、家族以外の人には平気で出社を求めてしまう。その利己的な考えに支配されていると、人を真に大切にすることはできないわけです。

 一方で、このコロナ禍で家庭内のDVが増えたという話を聞きました。家族にさえも慈悲の心を持てない、ロボットのような人間が大量生産されているのかもしれません。

 フロムは、現代資本主義が必要としている人間とはロボットのような人間だと指摘します。

 ロボットのような人間とは、「命令に進んで従い、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分を進んではめこむような人間である」というような意味です。  

 つまり、ロボットには良心はありません。良心をなくしたのは、会社組織や学校に盲目的に従い、他人と同じでなければいけないと自分をごまかし続けてきたからではないでしょうか。

 今回のコロナ禍で自由よりも安心安全という風潮が強くなった気がします。自由は得るのは難しく、失うのは簡単です。私はいくら安心安全でも、人権もプライバシーもない国で幸せになれるとは思いません。

「あなたにしかできないこと」の見つけ方

 それでは、この5つの問題を解決し、「あなたにしかできないこと」を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。

 私は、それはやはり「愛すること」ではないかと思います。フロムの言うように、まず自分を愛してそれと同じように他人を愛する。私流に言い方を変えると、「良心に従って人を思いやり、利他的な行為をする」ということです。

 セカンドストリートという全国展開しているリサイクルショップがあります。セカンドストリートでは大宮日新店が年間40万点もの売り上げを誇るナンバー1の店です。そこの店は社内では旗艦店として特別な扱いを受けていて、店長は元々エリアマネジャー、副店長4人は他の店舗の元店長という精鋭を集めているのだとか。

 その現店長があるテレビ番組に出演して、人を育てるコツは、「人を知る」ことだと語っていました。「人を知る」とは、働いている人には好きなこともあれば苦手なこともあり、家庭の事情もある。それを理解してその人の力を100%以上引き出してあげるのが大事だ、という意味です。

 つまり、社員の性格や背景を知ることで、能力を発揮させるのがリーダーの務めだということです。そのためには、やはり愛が大事ではないでしょうか。

 人間関係でも、仕事でも、社会でも愛することが大事で、それが「あなたにしかできないこと」を導き出すのではないかと思います。

 フロムは、愛するためには相手を信頼することだと説いています。

 ごく当たり前の教えではありますが、今はそれが難しくなっている状況です。

 コロナにかかった人を「たるんでるからだ」と批判したり、治っても仕事に復帰させないことのどこに愛があるのか。店を閉めたら死活問題になるから営業を続けている店に対して、嫌がらせをする人もいました。相手の立場になって考えることも、信頼するということも、どこかに消し飛んでしまったのが今回のコロナショックです。

 相手を知り、相手を信頼して、愛することはAIにはできない、人間だけにできることです。その技術を磨くことが、結局のところ「自分にしかできないこと」を確立するのではないかと思います。

 そして、大切なのは何が起きても常に心技体を磨きつつ、自分にしかできないことを探し続けることではないかと思います。そうすれば、ロボットにも鬼にもならずに済みます。

 先行きが明るくない世の中でも、心が満たされた、自由な人が増えますように。来年に向けて、私はそう切に願っています。

202012月22日

武元康明

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