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半蔵の心得

第12回 私の人生を変えた3つの案件

 今回は、今まで2万人以上の方とお会いしてきた私の心に残った案件をご紹介します。ヘッドハンターは人と人とをつなぐのが役割です。私は候補者ともクライアントとも何度も話し合いを重ねて、信頼関係を築くように心がけています。そのやりとりを通して、多くの学びを得てきました。

 なかでも、もっとも影響を受けた案件を3件ご紹介します。なお、守秘義務を守るために内容は変えています。

1、人を信じる喜び

 A社はスーパーのチェーン店を展開している、年商1000億円を超える企業です。自社で商品を開発しようということになり、商品開発・事業部長を探してほしいと、依頼をいただきました。

 私がその依頼を受けたのは、ヘッドハンターになってからある程度経験を積んでからです。A社の5代目社長のT氏は当時50代で、アメリカに留学してMBAを取っており、同族企業でありがちなボンボン社長という感じではありませんでした。市場を分析して冷静に自社の将来性を考え、「今までのやり方をしていたら、いずれ立ちいかなくなる」と危機感を持ち、当社に相談したのです。大局観のある方だと感じました。

 この案件を引き受けた時、私の脳裏にはすぐに同業他社で商品開発部の部長をしているIさんのことが思い浮かびました。Iさんが開発した商品がいくつかヒットしていたので、Iさんの名前はよく耳にしていたのです。

 連絡をとったところ、Iさんは面談に応じてくださいました。

 実際にお会いしてみると、明朗快活で頭の回転も速く、同時に謙虚な方でもあるので、「ぜひA社に紹介したい」と思いました。しかし、私が「Iさんにご検討していただきたい案件があるのですが」と切り出すと、「実は、最近転職したばかりで、今すぐには転職できないんですよ」と困った表情で答えられたのです。

 私は意外な答えに驚き、思わず「ええっ、本当ですか!?」と聞き返してしまいました。なぜなら、Iさんのようなポジションの方が転職したら、業界内ではすぐに話題になるからです。そんな話を聞いたことはないので、「きっと何か事情があるに違いない」と、そのまま引き上げました。

 その後、どうも気になるので、Iさんがいた会社のOBに話を聞いてみました。すると、「Iさんはパワハラで左遷されたんだ。それで、会社にいづらくなって辞めた」と言うのです。

 私は再度、驚きました。Iさんに実際に会った印象として、パワハラしそうな傲慢な態度は見られませんでしたし、部下をネチネチいじめそうな陰険なタイプにも見えませんでした。

 その話を聞いても信じられず、私は調査会社に詳しく調べてもらうことにしました。

 すると、どうやらIさんをパワハラだと訴えた相手に問題があるらしいと分かりました。その部下は、それまでも社内で何度も「パワハラだ」と騒ぎたてる、いわゆる「モンスター部下」だったのです。幹部の親戚だったので、まわりの誰も咎められなかったようです。

 彼はあちこちの店舗で問題を起こし、Iさんの部署に配属されることになりました。Iさんはそういった事情をまったく知らず、問題行動を起こしたときに叱ってしまい、大騒ぎになったのが事の顛末でした。

 それでも、Iさんの上司がかばってくれたのなら何とかなったでしょう。しかし、相手は幹部の親戚だからと上司も及び腰で、結局Iさんは左遷されてしまったのです。

 私は悩みました。実際にパワハラがあったのかなかったのかは、当事者にしか分かりません。私はそれまでに候補者を信用して裏切られた経験が何回かあるので、Iさんを信用してもいいのか踏ん切りがつきませんでした。それでも、どうしてもIさん以上の方を思いつかなかったので、T社長にありのままを伝えることにしました。

 私はT社長に「そんな怪しい噂のある人を会社に入れたら、何をされるか分からない。君はうちの会社に泥を塗るつもりか?」と叱責されるのを覚悟していました。しかし、聴き終えたT社長は顔色一つ変えずにこう仰ったのです。

「まずは本人に会って話を聞いてみようじゃないか。冤罪かもしれないし」

 私はすぐさまIさんに連絡を取り、面談の場をセッティングしました。

 面談でT社長は「君にはパワハラをしたという噂があるみたいだね」と切り出すと、Iさんは動揺することもなく、「私の言動で部下が追い込まれてしまったのは事実です」と、その時の事情を話しました。

 パワハラだと訴えた相手を責めず、冷静に話をするIさんの誠実な態度にT社長は感動したようです。

「ぜひうちの会社に来てほしい」とIさんを口説き落としました。その後、Iさんは無事にA社に転職し、次々とヒット商品を開発しています。

 私はこの案件で、T社長からもIさんからも多くのことを学びました。T社長からは人としての器の大きさや人を信頼する心、噂や人の話を鵜呑みにせず、自分で会って相手を見抜く眼がリーダーには必要なのだと感じました。Iさんからは人や世の中を恨まず、腐らず、真っ当に生きる生き様に感銘を受けました。

 世の中には風評や讒言などが多く存在し、正しく生きている人に対しても、裏でありもしないことを触れ回る人達は大勢います。だからこそ、このような優れたすがすがしい方達が出会い、事を成す瞬間は感動を呼びます。その場に同席できたことに幸せを感じる案件でした。

2、地域貢献への挑戦

 私が初めて医療業界のヘッドハンティングを引き受けたのはB病院の案件でした。B病院はいくつかの病院を経営する医療法人で、従業員数は500人以上、年商40億円を超えていました。

 依頼は、医師数人と、9事務局で財務や経営企画を管理する人を探してほしいとのことでした。

 私が最初にお会いしたのは初代経営者のF理事長です。一見物静かだけれども性格は豪快でユーモアもあり、患者さん達にもとても人気がありました。ただ、B病院は救急医療が中心だったので、過酷な環境で医師がすぐに辞めてしまうという悩みを抱えていました。

 少子高齢化の影響で赤字の病院が増え、ちょうど医療界は病院を統廃合する再編期を迎えていました。F理事長は自分の古くさい考え方では、これからの病院経営はやっていけないと考え、息子さんに事業継承をすることにしたのです。それを機に、事業拡大をしたいとも考えていらっしゃいました。

 私もそのとき初めて知ったのですが、地方では病院を中心とした街づくりをする動きが徐々にではありますが出始めています。高齢化が進み医療費が膨らむ一方で、社会保障費を抑えるために政府は長期間入院させるのではなく、在宅医療にシフトしようとしています。そうなると、リハビリ施設や在宅ケアを受けられる高齢者向け住宅、訪問看護ステーションなどの施設を充実させないといけません。

 B病院も病院での治療だけではなく、自宅での過ごし方や介護の受け方までをトータルで考えることで、一人暮らしの高齢者でも安心して暮らせる街づくりをしようという取り組みを始めようとしていました。

 お話を伺い、医療業界に大きな将来性を感じて引き受けることにしました。

 事務局の人材を探すのは、それほど時間はかかりませんでした。異業種への転職、地方への転職になるので難色を示す方もいらっしゃいましたが、最終的には双方が納得するマッチングを実現できました。

 難航したのは医師のヘッドハンティングです。その当時は医療業界に詳しくなかったので知らなかったのですが、医師の人事は大学病院の医局という制度が支配していました。小説『白い巨塔』の世界がいまだに続いていたのです。

 医師は卒業した医大の教授を長とする医局にそのまま属するのが一般的で、その医大の病院か系列の病院に配属されます。医局に属さない医師もいますが、その場合は自分で病院を探さないといけません。ヘッドハンティングの対象は医局の医師が多数をしめていたことから、今いる医局から抜けてまでB病院で働きたいと考える医師はほとんどなく、けんもほろろという感じで断られ続けました。

 ようやく、卒業した医大ではない医局に就職し、優秀であってもその医局での出世の道がほとんど開かれていない外様の医師を探し出しました。F理事長の息子さんは医局にとらわれずに優秀な人を集めたいと考えていたので、その医師に担当科の部長をお願いしたいとオファーし、無事に話がまとまりました。

 結局、1人目の採用に至るまでに4年もかかりましたが、その間ずっとB病院の方々は待ってくださったのです。

 B病院はその後も地域の活性化に力を入れ、住民のために祭りやコンサートを積極的に開いたり、住民向けの出張講座を開いたり、地域の人から愛される病院になっています。「この街に住んでいたら安心」と思われるような街づくりを実現しつつあると、訪れるたびに感じています。

 医師のヘッドハンティングだけなら、専門分野ではないので私もそれほど入れ込まなかったかもしれません。街づくりを通して地方を再生する経済のエンジンになる可能性を秘めているので、日本を活性化する一役を担えるのではないかと使命を感じるようになった案件です。

3、大失敗から学ぶ

 人生を変えるきっかけになるのは、成功した案件ばかりではありません。むしろうまくいかなかった案件のほうが、学ぶべき点が多いのです。

 ある外資系の化学メーカーのC社は、事業承継で依頼を受けました。

 外資系といっても日本で設立されて50年ぐらい経つ企業です。当時の日本法人のトップは日本人で、社員も9割は日本人なので、社風は日本の普通の企業と変わりありませんでした。

 その当時の社長のMさんがアメリカ本社に戻ることが決まり、次期社長を探すことになりました。社内に優秀な社員は多くいたのですが、社長に適任な人材はいなかったので、外部から招こうという話になりました。

 私が白羽の矢を立てたのは同業他社で長年営業マンとして活躍し、営業本部長を務めるKさん。在籍している企業では社長候補の一人と言われていましたが、直近の人事では他の派閥の社員が常務に抜擢されていました。もしかしたら派閥争いに負けて、社長への道は遠のいたと本人は落胆しているかもしれません。

「今なら転職に興味を示すかもしれない」と私はアプローチしてみました。すると、あっさりとお会いすることができました。

 業界では相当のやり手だと言われていた方だけあり、初対面でも物おじしない豪快なタイプで、巧みな話術で学生時代はラグビーをやっていたのだと思い出話もされていました。すっかりKさんに魅了された私は、さっそくM社長に勧めて、M社長と専務のSさんが会ってみようという話になったのです。

 両者の面談では、Kさんは面白おかしく営業での武勇伝を語っていました。両者はすっかり意気投合したようで、この話はスムーズにまとまりそうだと私は喜んでいました。

 ところが、本契約に入る直前に、Kさんから「実は他社からもうちに来てほしいと言われていて、迷っている」と打ち明けられたのです。私が声をかける前に自ら転職活動をして採用がほぼ決まっており、C社との契約が決まりかけたので辞退を申し出たところ、年収を上乗せしてきたと言うのです。

「いやあ、私としてもC社に行きたいのですが、住宅ローンもまだ払い終えていないし、長男は大学院に入ると言っていますし……」とKさんは申し訳なさそうに言います。私は焦って、「まだそちらの会社とは契約を結ばないでほしい」とお願いし、M社長達に事情を説明しました。

 M社長は、「それなら仕方がないな」と諦めかけましたが、専務のSさんは「あれだけの人材はなかなかいませんよ。うちも金額をもう少しアップしませんか」とM社長を説得しました。最終的には、「新しい社長のもとで働くのはSさんだから」とM社長は承諾し、年収を可能な限りアップして、Kさんに再提示しました。

 すると、Kさんは「そこまでしていただけるのなら」と同意してくれました。最終的には、誰もが納得できる形で転職を実現でき、M社長も安心してアメリカに旅立っていきました。

 ところが、それから3カ月も経たないある日、Sさんから「Kさんに会社から追い出されそうになっている」と連絡が入りました。 

 Kさんがおとなしくしていたのは最初の1カ月だけで、「成果を出していない社員には出て行ってもらう」といきなり豹変したというのです。そして、長年働いてきた社員を次々にクビにし、代わりにKさんの前職の部下達を招き入れました。

 SさんはKさんを説得しましたが、「オレの言うことを聞けないなら、あなたにも出て行ってもらうよ」とSさんを脅したと言うのです。

 Kさんを紹介した私にも責任はありますので、Kさんと直接話そうとしましたが、なんと着信拒否。会社に出向いても門前払いをされました。

 結局、Sさんは知人の会社に転職したのですが、そのころにはほかの社員も次々と会社を辞め、残っている社員も「いつクビを切られるか分からない」と戦々恐々としていたと言います。

「たったの数か月で、すっかり会社が変わってしまった」とSさんは力なく話していらっしゃいました。これは完全に私の失敗です。

 私はSさんにもM社長にも何度も謝罪をしましたが、「あなたのせいではない。みんな騙されていたんだから、仕方がない」と言われると、いっそう罪悪感に苛まれました。

 今振り返ってみると、他社と天秤にかけている時点で、もっと警戒するべきでした。初回の面談の時から私を怪しむこともなく、話に乗り気だったのも裏があったということでしょう。Kさんぐらいの役職に就いている方なら、転職に対してもっと慎重になるのが普通です。

 このコラムで「心技体」について語ってきましたが、Kさんはまさに「心」に問題がある人物でした。私もC社もKさんの「技」にほれ込んでしまい、「心」まで見抜けなかったのです。

 しばらく夜も眠れないぐらいに落ち込み、自分の至らなさが身に染みました。

 その後C社の業績は伸び悩んでいると聞きました。いつの間にか取締役に外国人が就任しているので、おそらく内部がガタガタになり、見かねた本社が人材を送り込んだのではないかと思います。

 この手の評判は業界内では知れ渡りますから、Kさんは二度と転職することはできないでしょう。今でもこの案件はいつも頭の片隅にあり、自分を戒める教訓になっています。

 

2018911

武元康明

手紙・名刺をお持ちの方