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静岡県とふとした閑話

静岡県

東京と京都の間にあり、交通の便がいい。

海も山もあり、太平洋に面していて気候は温暖。人々の性格も穏やか。

そして、こうした地域で過ごしている人たちが選ぶものは、奇抜なものや特異なものが少ない。だから、日本人の平均値がとりやすい。

以上は「商品の試作品などを試すには静岡県が最適」といわれる所以である。

とはいえ、東西に長い静岡県は、かつて伊豆、駿河(静岡市周辺)、遠州(浜松市周辺)と3つのエリアに分かれていたため、実は文化や県民気質の上で微妙な違いがある。私の得意分野である鰻の焼き方も、静岡市では関東風と関西風が混在しているが、浜松市までいくと関西風が多くなる。

平均的、という言葉は「平凡」や「無個性」だとも受け取り得るが、決して特色がないわけではないのだ。

 

しかし、私が「静岡県」と聞いて思い浮かべるのは「平均的」という印象でも、富士山や茶畑などの情景でもない。ある候補者の言葉である。

「静岡は私の故郷でもあり、そういう意味でしがらみも多い。だから、居心地の良さと悪さが共存し、去りがたくもあり去りやすくもある」

アンビバレンスを体現した言葉だろう。

そして、こうした想いは万人が持っているものでもあるとも思う。これを聞いた当時はあまり感じなかったが、私が石川県に抱いている感情にも似た部分がある。みなさんの心のどこかにも、やはり似た想いがあるのではないだろうか。

こうして各地にまつわる紀行文を書くとき、それぞれの土地が誰かにとっての「故郷」であることに気づかざるを得ない。都道府県それぞれの特色は違えど、誰かが生まれ、育っていく営みの舞台となるのは皆一緒だ。そして成長すると、その土地で就職するか、外に出るかの決断をすることになる。その決断の先に、こうしたアンビバレンスを抱えながら生きていくのは自然なことなのかもしれない。愛おしさと憎らしさ、それを内包するのが「故郷」の本質なのだろうか。

ふとそんな問いを抱いた、睦月の午後であった。

2020年1月6日

武元康明

半蔵が食べた静岡県のうなぎ屋

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