「三ぽい」水戸の行先は

江戸末期から明治にかけての歴史が、現在も尾を引いている地域があることは会津・長州の関係で述べた。
この二藩の対立については、これを題材にした小説やドラマもあり、多くの人が知っているものだろう。
だが、水戸藩の「内乱」についてご存知の方は多くないかもしれない。
黒船来航後、最初に尊王攘夷派の中枢を担ったのは、実は水戸藩。
だが、新政府樹立に際して、水戸藩出身者が重要ポストを占めることがなかった。その背景には、水戸藩は藩内で起こった内乱によって人材をほとんど失ってしまったという事実があるのだ。
「理屈っぽい」「骨っぽい」「怒りっぽい」の「三ぽい」とされる茨城県民らしさは決してマイナスではなく、「正義」を徹底して貫こうという実直さにつながる美徳だと私は思う。しかし、その「正義」が藩内で対立してしまったが故に、「天狗党の乱」と呼ばれる反乱、そしてその後に続く藩内での報復合戦が生じてしまった。
藩外に目を向けるよりも、最終的に内部の膿を正そうとした水戸の人々の気質は、今の茨城県にも引き継がれているような気がする。
魅力度ランキングで最下位に位置することが多い茨城県だが、実は「つくば霞ヶ関りんりんロード」というサイクリングロードが日本を代表するサイクリングロードに選出されていたり、霞ヶ浦を中心とする豊かな食文化を持っていたりと語りつくせぬ魅力がある。
しかし、地元のタクシー運転手さん曰く、「黙っていても、茨城には魅力があるから人が寄ってくると県庁は思い込んでいてプロモーションをまともにしない」らしい。たしかに、茨城県庁のホームページから飛んでいける観光プロモーションのサイトのコンテンツは充実しているとは言い難い。
外に向けて発信していこう、という姿勢があまりないように感じた。
硬派といえば硬派。だが、盤石に見える硬い石でもひび割れることがある。
竹のようなしなやかさが必要になるときもあるのだが、今後の茨城はどうなるのだろう。
ちなみに、内乱の中心派閥である天狗党が処刑された福井県敦賀市と水戸市は、1965年に姉妹都市となっている。
会津・長州のようにいがみ合う結果に終わらなかったところに希望を感じるのだが、今後はいかに。
茨城のほしいもファンなので、密かにその行先を見守っているのである。
2020年8月31日
武元康明