境界線上の仙台

気候風土が似ているからだろうが、四国地方や北陸地方など「地方」で区切って県民性を見ていくと、大まかな傾向は共通していることが多い。
だが、東北地方は宮城県、特に仙台に関しては、「東北地方」の性質と似ていない部分が多い。
むしろ、対照的とさえ言えるかもしれない。
例えば、保守的なイメージの強い東北地方のなかで、仙台市については「都会的でしゃれている」と思っている人が多いようだ。県全体に目を向けると、郷土意識や保守性がほかの東北地方より低く、都会的な感覚を身に付けているという調査結果もある。
実際、私の知り合いの仙台出身の方々を思い出してもても、考え方の差を感じたことは少ない。
各地で生活する様々な方々と面談などをしていると、やはり東京で長く仕事をする私とは異なる価値観を持っていると感じることが多々あるものだ。これは東京が都会的でそのほかが田舎的な考え、というわけではない。明言しておくが、そこに貴賎はない。
だが、個人差という範囲を超えて、「暮らし」の環境は価値観に影響を与えるのだと、仕事を通してひしひしと感じてきたこの十数年だった。
だからこそ、仙台の人と話していて価値観の差を感じることがほとんどないことに驚くのである。
一方で、20代半ばに、自分自身が仙台に住んでいた時期のことを思い出すと、いわゆる「東北の排他性」とも呼べるような雰囲気を感じたこともないわけではなかった。
もはや20年以上前の話なので現状と違うかもしれないが、私にとって仙台は、都会的かつ開放的なように見えながら、東北の香りが確かに漂う、不思議な場所なのだ。
いわば、「境界の都市」である。関東と東北のグラデーション。
ちなみに、20年前と今で仙台の性質が変わってきたかどうかは定かではないと述べたが、一つだけ変わったとはっきり感じる点がある。
牛タンが美味しくなった、という点だ。
仙台に住んでいたころは、牛タンを食べに行って美味しいと感じたことがほとんどなかった。期待していったのに、裏切られたような気さえしたのを覚えている。
しかし、今訪れるとどこの店でも美味しいものが出てくるではないか。
私の舌が変わったという説もあるが、まあその辺は大目に見ていただきたい。
個人的には、陣中の牛タンラー油がお気に入り。大量買して家に持って帰ると、呆れつつも嬉しそうな家族の顔が出迎えてくれる。ぜひ、宮城産ササニシキとともにご賞味あれ。
2020年12月7日
武元康明