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大仏の肌の色は、なんのいろ?

奈良県

このコラムでは各地の歴史について細々としたウンチクを述べる機会も多いが、

私は決して勤勉だったわけではない。むしろ、勉強より遊びのガキ大将的性格だった。

盗んだバイクで走り出したことは流石にないが、小学生のとき給食の食パンをこっそり拝借した記憶がある。パンが食べたかった!というよりも、悪戯をするときのスリルが楽しかったんだろう。

こんな感じで、机の前に座るよりも身体を動かし、人と関わり、とにかく楽しむことを選んできた。

だから、教科書に載っている知識は覚えていないものも沢山ある。

だが、大学時代にとある国会議員の方の荷物持ちをしたことや、仕事で日本全国を飛び回っていたことで、「経験」に近い「知識」はたくさん蓄えてきた。

特にそれは自分の興味がある分野、たとえば食文化が大きなウェイトを占めている。

高校生相手に歴史の講釈はできないが、お寿司屋さんの大将相手に各地の魚食文化について語り明かすことはできる……それが私の楽しみであり誇り、というわけだ。

さて、そんな私が奈良県について語ろうとすると、平城京やら、大仏やらは問題にならない。

好奇心を引かれるのは、うなぎの横に寄り添うべっ甲色の存在。

奈良漬である。

 

奈良漬自体は大昔から作られていたそうで、それこそ「奈良」時代の書物には原型と見られる漬物の記述があるらしい。酒粕に瓜を漬け込んだものが保存食として都で重宝されていた。

酒粕が生まれるのは清酒作りの最中。この清酒の発祥の地こそ奈良県である。

ちなみに、同じ頃にはうなぎも食されていた。万葉集には、「お前は痩せているんだからうなぎを食べて精力をつけろ」という軽いじゃれあいじみた和歌が載っている。(私が知っている万葉集の和歌はこれぐらいだ。)

まだ蒲焼という手の込んだ食べ方ではなかったと思うが、この時代にはすでに滋養にいいと認知されていたんだなぁと感心する。

 

だが、そこからうなぎと奈良漬の黄金コンビが誕生するまでには時間を要した。

奈良時代から約1000年の時を経て、江戸時代。

奈良県のとある漢方医が瓜の粕漬けを「奈良漬」と名付け、売り出した。さらにこれを徳川家康に献上したところ大変気に入られ、そのまま江戸に召されて幕府の奈良漬け担当の御用商人になったらしい。

この「江戸進出」からさらに400年後、「蒲焼と奈良漬」が定番化しきるのは明治時代だと言われている。

なお、先人たちは化学的な知識がなかったにも関わらず不思議とうまい組み合わせを考えてきたもので、奈良漬とうなぎは味だけでなく、栄養素的にも大変相性が良い。

うなぎの消化・吸収を促進させるメラノイジンという成分が奈良漬には入っているのだ。

 

実は、奈良県はうなぎの蒲焼消費量上位の常連である。

古都に薫るのは梅の香りではなく、香ばしいタレの匂い。奈良の大仏を見れば、その荘厳さに圧倒されつつも、その肌は奈良漬色だと想いを馳せる。

地元の人に怒られそうな気もするが、それが私にとっての奈良県だ。

 

2021年3月16日

武元康明

半蔵が食べた奈良県のうなぎ屋

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