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富山の薬売りの置き土産

富山県

私の出身地である石川県のお隣、富山県。仕事でも当然訪れるが、幼い頃にも叔父叔母に連れて行ってもらった思い出がある。かれこれ半世紀ほどの前のことだが、野外劇場とその奥に聳える山の蒼さは今尚色褪せない。あいにく劇の内容はからきしだが…

さて、そんな富山の県民性として「勤勉」「合理主義」が挙げられる。「一人当たり県民所得」5位、「国内銀行預金残高」5位、「持ち家比率」1位…これらは総務省統計局による「統計でみる都道府県のすがた 2019」の掲載データだ。県民性が顕著に現れている。

ところで、富山県と聞いて「富山の薬売り」を思い浮かべる人は多いだろう。現在もこの文化は続いている。また、医薬品産業も盛んだ。

この「薬売り」が富山の県民性を作ったのだと、私は考える。今回は薬売りの歴史を紐解いて県民性のルーツを見つけたい。

薬売りビジネスのきっかけは、富山藩第二代藩主の前田正甫(まさとし)が参勤交代で都城した際の出来事のようだ。江戸城で腹痛を訴えた三春藩主の秋田輝季(としすえ)に、正甫が懐中薬の「反魂丹(はんごんたん)」を飲ませた。すると、腹痛はたちまち平癒。これがきっかけで、他藩からも領内での薬の販売が許可されたという。

しかし、幕藩体制下での他藩への商いは例外中の例外で歓迎されるものではない。他藩からの販売者を怪しんだり、商品を買うことに抵抗感を示したりする客もいただろう。

そこで薬売りたちは配置薬の制度を作る。この制度は「富山の薬売り」を特徴付ける画期的なシステムだった。無料で薬箱を設置して、使用した薬代金だけを翌年に集金するのだ。

また、トラブルを回避するために営業する地域別にグループを作ったり、「営業した地域への移住の禁止」「ギャンブルや歓楽街への立ち入り禁止」といった規定を作ったりして、全国における信用を勝ち取ったという。

集金システム上、この「信用」はキーワードだ。「商いの信用(不正をしない)」「薬の信用(高品質薬の提供や開発)」「人の信用(信頼関係)」からなる「信用三柱」の精神を大事にした。とりわけ「人の信用」が大事とされ、相談にのったり、アドバイスをしたり、励ましたりといったことを続けることで顧客との信頼関係が生まれていった。

ちなみに、富山藩はもともと加賀藩だった。そこから現在の富山県のなかでも婦負(ねい)郡と新川(にいかわ)郡の一部の地域10万石を分藩して富山藩ができた。

しかし領内には稲作に適した領地が少なく、冷害や水害も多かった。対抗策として農業奨励政策が次々と打ち出され、農民は食事から住居、衣類に至るまで生活制限を受けたが、結局藩は財政を立て直すことができなかった。加えて熱心な浄土真宗信者が多く人減らしをしなかったために人口が増え続け、長年にわたる財政難に陥っていく。正甫はさまざまな事業で財政を立て直そうとしていたようなので、全国への売薬業は渡りに船だったのかもしれない。

とはいえ、道中に盗賊に襲われる危険性もある。無償で薬箱を設置しても、翌年の集金が困難ということも予想できる。

しかしこうしたリスクを乗り越えて配置薬ビジネスは成功を収めた。この成功の背景には、富山藩の経済の混乱を耐え抜いて培われた精神と、彼らの真面目さがある。懐中に仏を忍ばせ、「仏が見ていてくださる」と念じながら旅を続けた富山の薬売りたちの。

 

2019年723

武元康明

半蔵が食べた富山県のうなぎ屋

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