なぜうなぎを紹介するのか?
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うな東愛知県/名古屋市中川区1970年前後 創業
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4代目 菊川(名古屋グローバルゲート店)愛知県/名古屋市中村区2018年 創業
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一冨士愛知県/名古屋市中区1923年 創業
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おか富士愛知県/名古屋市中区2018年 創業
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うな和(名駅)愛知県/名古屋市中村区2020年 創業
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鰻和(鶴舞)愛知県/名古屋市中区2020年 創業
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しば福や愛知県/名古屋市西区2018年 創業
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しろむら愛知県/名古屋市東区2015年 創業
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炭焼きうなぎ 三福愛知県/名古屋市熱田区1950年 創業
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かが味愛知県/名古屋市熱田区1990年 創業
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うな春愛知県/名古屋市東区2008年 創業
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名代元祖 井谷家愛知県/知立市1885年前後 創業
*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。
半蔵の心得・半蔵紀行
(うなぎコラム)
出張時に食べ続けているもの
社会人になり約30年。午前は九州、午後は北海道…などと、日夜列島各地を飛び回り、東京で過ごしている日数のほうが少ない。
「出張時はご当地の美味しいものを食べる」という方もいるかもしれないが、私が社会人になってからずっと実践しているのは「うなぎ屋に行く」ことだ。
当然、単純にうなぎが好きという理由もある。しかし、もっとちゃんとした背景もあるのだ。
出張が多くなり、日本各地で食べることができて、かつ店ごとの違いを比較できる食文化は何かないだろうか、と考えるようになった。寿司屋はいたるところにあるが、海に面していない地域もあり必ずしも地元の魚を提供されるわけではない。蕎麦やうどんでは地域ごとの変化を見つけるのは難しい…この問答を続けた結果、うなぎにたどり着いたのである。
関西風は腹側から切って蒸さずに焼き、関東風は背側から切って蒸してから焼く。こうしたうなぎの調理法の違いがあるのは有名だ。とはいえ、全国で食べ比べをする程違いはないのでは?と思う方もいるだろう。しかし実は、各店でタレに使う醤油・ミリンが違い、全国で食べ比べをすると味の違いが如実に出るのだ。
また、私が出張先でうなぎ屋に出会う確率が高いということも理由の一つである。うなぎ屋は元宿場町や元城下町に多いのだが、江戸時代に栄えていた町は現代でも企業が集まりやすい。
行った店の箸袋などを持ち帰ってリストにしているので、見返す楽しみもある。
(全箸袋を公開中)
ところで、うなぎをタレで食べるようになったのは、江戸時代とされている。
うなぎ自体は昔から滋養に効果がある栄養食材として知られていて、『万葉集』では大友家持が夏痩せした友人・石麻呂さに「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものそ 鰻捕り喫(め)せ」(万葉・一六・三八五三)とうなぎを勧めている。この当時はかば焼きの調理法はなく、単に煮たり焼いたりしていたようだ。
それが江戸時代になるとうなぎ専門店ができてタレが誕生する。酒の肴から丼や重スタイルへと進化していったようだ。タレも、肴として醤油と酒と山椒味噌を煮詰めたものから始まって、ごはんに合うように味醂が加わるようになった。
土用の丑の日にうなぎを食べる風習ができたのも江戸時代。丑の方角を表す北北東を守る「玄武」が黒い神様だったため、「それにあやかって黒いうなぎを食べて元気を取り戻そう」とうなぎ屋の宣伝をしたところ、ヒットしたようだ。実際、うなぎだけではなく、黒ゴマ、黒豆、玄米、黒砂糖など、黒い食べ物には体にいいものが多い。
出張が続くと体調を崩しやすくなる方もいるかもしれないが、私はいたって元気。その秘訣は、各地で味わううなぎにあるのかもしれない。
2019年9月10日
武元康明
愛知県の県民性
生まれてから就職まですべて県内という人もいる地元愛の強い県
愛知県は、言わずと知れた大商業圏の名古屋市や日本一の自動車メーカー・トヨタ自動車のある豊田市を有し、海産物にも農産物にも恵まれた県である。
経済産業省「工業統計調査」の「製造品出荷額等」は、1977年からなんと40年連続で全国1位の工業県であり、県内の事業所数も32万以上で、東京、大阪に次いで全国3位(「平成28年経済センサス‐活動調査(確報)」)と、日本の経済界を支えている県と言っても過言ではないだろう。
住みやすい立地に加え、仕事もある。だからこそ地元愛にあふれた県民が多く、出身高校と同一県内の大学入学者数も全国一位(文部科学省「学校基本調査 平成30年度」)だ。そうなると就職も県内を選ぶ確率が高く、一生を愛知県で過ごすといったことも珍しくない。
そんな愛知県の県民性を見てみると、名古屋市のある西部地域(旧尾張国)と、豊橋市、岡崎市、豊田市のある東部地域(旧三河国)で県民性の違いをあげる県民が多い。
尾張側は「商人文化気質」で、金銭感覚に鋭く、節約意識と出費のメリハリが大きい。例えば名古屋ではハイブランドのカバンを持っている女性を多く見かけるが、これは「確実に価値が確定しているものを買い、無駄な買い物をしない」といった堅実性の表れともとれるのではないだろうか。
「名古屋の結婚式は派手」といわれるが、独身時代は実家暮らしで節約する代わりに、結婚式のようなお祝いの出費のときには惜しまず使う、といったメリハリがあるように思う。
一方、三河側は、堅実で頑固、組織への忠誠心が強いといった「武士文化気質」があるといわれる。こうした気質の人が多いからこそ、職場では同じプロジェクトに向かって一丸となる統一感や、皆でよりよいものを作っていこうという意識も生まれる。それがトヨタ自動車の礎を築いたともいえるのではないだろうか。ちなみに、都道府県別・車種別自動車保有台数は愛知県が全国1位である( (一財)自動車検査登録情報協会HP「都道府県別・車種別保有台数」)。
ここまでは愛知県民の保守的な一面を考えてきたが、こと、食文化においては挑戦的な部分が多いように感じる。私の出張時の趣味はうなぎ店めぐりだが、愛知県といえばうな重ではなく「ひつまぶし」だ。ひつまぶしの発祥には、うなぎの大きさをそろえるためとか、型崩れしたものを使ったなど諸説あるが、いずれにしても画期的なアイデアといえる。いまや市民権を得た「天むす」や「小倉トースト」も、保守的な県民性からは一見考えられない。「きしめん」「みそかつ」「手羽先」……など、ほかにも愛知県独特のメニューは多い。この謎を考えるに、食のバリエーションが確立しているのは、地元に生み続ける人が多いからなのではないかという答えに行きついた。
10年以上前の話になるが、名古屋市内の寿司屋で出してもらった知多半島産の魚介があまりにおいしかったため、大将に「これほどよいものなら築地に出荷されないんですか?」と尋ねたところ、「地元で消費」という回答がかえってきたことがある。
地元に住み続ける人が多いということは、常連客も多いはずだ。加えて、愛知県民は金銭感覚が鋭い。だからこそ、一番いい食材は地元の人に提供すべき、常連さんを飽きさせない新しいメニューを作るべき、といった発想につながっていったのではないだろうか。
※別コラム「半蔵紀行」でも愛知県を紹介しています。
2019年10月10日
武元康明