半蔵門パートナーズ 半蔵門パートナーズ

お問い合わせ 資料請求
手紙・名刺をお持ちの方
お問い合わせ 資料請求
03-3221-3345

半蔵うなぎ街道

なぜうなぎを紹介するのか?

半蔵が持ち帰ったうなぎ屋の箸袋は、本日現在22軒です

創業年で
並び替え

新しい順 古い順 不明
北海道
県民性を見る
  • 天ぷら うなぎの店  一元
    北海道/帯広市
    1986年前後 創業
  • 宮川本廛
    北海道/札幌市中央区
    2003年前後 創業
  • うなぎ 仲じま
    北海道/札幌市中央区
    2018年 創業
  • うなぎ 天婦羅 どぜう  鯉之助
    北海道/函館市
    1953年 創業
  • うなぎと道産料理  塩釜
    北海道/室蘭市
    1938年 創業
  • うなぎ・天ぷら  よしなり
    北海道/名寄市
    1932年 創業
  • うなぎ処  高はし
    北海道/函館市
    1977年 創業
  • 名代 志んぼ
    北海道/札幌市
    1934年前後 創業
  • 鰻 二葉
    北海道/札幌市
    1948年 創業
  • うなぎ 久田
    北海道/札幌市
    2018年 創業
  • うな明
    北海道/札幌市
    2000年 創業
  • うなぎの和田
    北海道/札幌市
    1975年 創業

*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。

北海道の県民性

「多様性」「共生」を受け入れられる度量の広さ

広い土地を求め、本州から蝦夷(北海道)への移住がスタートしたのは鎌倉時代頃からとされている。

渡島半島南部に松前藩が置かれ、江戸中期からはニシンや昆布といった北海道で採れた海産物を、北前船で日本海側の各地を経由しながら大阪まで運んだ。北前船は経由地でも船の荷を売ったり現地のものを買ったりといった商売を繰り返しながら大阪との間を往復したため、各地の文化が日本に広まったようだ。例えば和食の出汁となる昆布や小魚なども、北前船がなければ広まらなかっただろうし、昆布が採れない富山県で昆布の消費量が全国一位なのも、北前船から海産物を購入するようになったことがきっかけだ。

とはいえ、北海道で大規模な開拓がはじまったのは明治時代になってからだ。道南に開拓使(北方開拓のための官庁)が置かれ、屯田兵(北海道の警備にあたる警察や部隊)が送りこまれた。

このときに日本各地から開拓者が北海道に渡ったことが、よくいわれる道民性「おおらか」「楽天的」「形式にこだわらない人柄」を育む基礎になったといえるのではないかと思う。未開拓の極寒地で日本各地からさまざまな気候、文化、風習を持った人たちが集まって生活をしていくのであれば、争うよりも皆で協力して過ごすことが必要になる。

また、極寒の地を開拓していくために女性も肉体労働しなければならなかったが、これが「男女平等」といった感覚を根付かせたことも見逃せない。そう考えると、北海道はここ最近になって聞かれるようになった「多様性」や「共生」意識を、かなり早い段階から根付かせてきた日本では珍しい土地柄と言える。

こうした道民全体に言える特徴に加えて、本州に近い玄関口の役割があった函館は、「新しいもの好き」「新しいものへの対応能力が高い」といった精神が道内のほかの地域よりも根付いていると感じる。

箱館(函館)は、ペリー来航をきっかけに日本最初の国際貿易港として開港して以降、日本初の女子修道院や日本で唯一の男子の修道院もできるなど、異文化を含めた新しい人や物や文化が入ってきやすい立地だった。そうした文化の窓口は現代まで続き、1961年には函館空港ができ、2016年3月には新青森―新函館を走る北海道新幹線も開通するなど、足の便も非常に良い。観光名所となった「五稜郭」や、百万ドルの夜景とも称される函館山からの眺望、明治時代にできた赤レンガ倉庫などの観光名所にいつの時代も観光客が絶えないのは、ダイレクトに函館に行く交通手段があるのは大きい。国内外から来る人たちを受け入れてきた度量の大きさを感じられる土地が函館なのだ。

※別コラム「半蔵紀行」でも北海道を紹介しています。

201988

武元康明

  • 天ぷら うなぎの店  一元
  • 宮川本廛
  • うなぎ 仲じま
  • うなぎ 天婦羅 どぜう  鯉之助
  • うなぎと道産料理  塩釜
  • うなぎ・天ぷら  よしなり
  • うなぎ処  高はし
  • 名代 志んぼ
  • 鰻 二葉
  • うなぎ 久田
  • うな明
  • うなぎの和田
手紙・名刺をお持ちの方