なぜうなぎを紹介するのか?
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京うなわ本店京都府/京都市中京区2020年 創業
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おぜき京都府/京都市上京区1990年以前 創業
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西陣 江戸川京都府/京都市上京区1909年前後 創業
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伏見稲荷御前町 祢ざめ家京都府/京都市伏見区1540年 創業
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うなぎ いっせい京都府/京都市西京区1999年前後 創業
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かね正京都府/京都市東山区1866年 創業
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鰻と割烹 梅の井京都府/京都市東山区1914年 創業
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柳馬場通 梅乃井京都府/京都市中央区1928年 創業
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浜名湖鰻 うな鶴京都府/舞鶴市2015年 創業
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はしもと京都府/長岡京市1979年以前 創業
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大國屋鰻兵衛京都府/京都市中京区2018年 創業
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京極かねよ京都府/京都市中京区1913年前後 創業
*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。
半蔵の心得・半蔵紀行
(うなぎコラム)
出張時に食べ続けているもの
社会人になり約30年。午前は九州、午後は北海道…などと、日夜列島各地を飛び回り、東京で過ごしている日数のほうが少ない。
「出張時はご当地の美味しいものを食べる」という方もいるかもしれないが、私が社会人になってからずっと実践しているのは「うなぎ屋に行く」ことだ。
当然、単純にうなぎが好きという理由もある。しかし、もっとちゃんとした背景もあるのだ。
出張が多くなり、日本各地で食べることができて、かつ店ごとの違いを比較できる食文化は何かないだろうか、と考えるようになった。寿司屋はいたるところにあるが、海に面していない地域もあり必ずしも地元の魚を提供されるわけではない。蕎麦やうどんでは地域ごとの変化を見つけるのは難しい…この問答を続けた結果、うなぎにたどり着いたのである。
関西風は腹側から切って蒸さずに焼き、関東風は背側から切って蒸してから焼く。こうしたうなぎの調理法の違いがあるのは有名だ。とはいえ、全国で食べ比べをする程違いはないのでは?と思う方もいるだろう。しかし実は、各店でタレに使う醤油・ミリンが違い、全国で食べ比べをすると味の違いが如実に出るのだ。
また、私が出張先でうなぎ屋に出会う確率が高いということも理由の一つである。うなぎ屋は元宿場町や元城下町に多いのだが、江戸時代に栄えていた町は現代でも企業が集まりやすい。
行った店の箸袋などを持ち帰ってリストにしているので、見返す楽しみもある。
(全箸袋を公開中)
ところで、うなぎをタレで食べるようになったのは、江戸時代とされている。
うなぎ自体は昔から滋養に効果がある栄養食材として知られていて、『万葉集』では大友家持が夏痩せした友人・石麻呂さに「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものそ 鰻捕り喫(め)せ」(万葉・一六・三八五三)とうなぎを勧めている。この当時はかば焼きの調理法はなく、単に煮たり焼いたりしていたようだ。
それが江戸時代になるとうなぎ専門店ができてタレが誕生する。酒の肴から丼や重スタイルへと進化していったようだ。タレも、肴として醤油と酒と山椒味噌を煮詰めたものから始まって、ごはんに合うように味醂が加わるようになった。
土用の丑の日にうなぎを食べる風習ができたのも江戸時代。丑の方角を表す北北東を守る「玄武」が黒い神様だったため、「それにあやかって黒いうなぎを食べて元気を取り戻そう」とうなぎ屋の宣伝をしたところ、ヒットしたようだ。実際、うなぎだけではなく、黒ゴマ、黒豆、玄米、黒砂糖など、黒い食べ物には体にいいものが多い。
出張が続くと体調を崩しやすくなる方もいるかもしれないが、私はいたって元気。その秘訣は、各地で味わううなぎにあるのかもしれない。
2019年9月10日
武元康明
京都府の県民性
独特の個人主義と、伝統と新しいものを取り入れるバランス感覚
京都府、特に京都市内は多くの日本人の憧れの地とされる一方、「京都人はプライドが高く、京都がなんでも一番だと思っている」「オブラートにつつんでモノを言うので、本音が見えづらい」などともいわれ、京都の人との付き合いは難しそうなイメージがある。
例えば、「ブブ漬け(お茶漬け)どうどすか」と言われたら、「いつまでいるのだ」という意味で使われているため、「額面通りに受け取って食事をいただくのはご法度。早く帰らなければならない」とか、子どもを見て「元気なお子さんどすな」と言われたら、「騒いでうるさい」といった意味で使われている……といったように。「一見さんお断り」の文化も含めて、京都の人は京都人の阿吽がわからない人を、簡単には寄せ付けない空気を持ち合わせている。
NHK放送文化研究所編『現代の県民気質―全国県民意識調査―』の1996年調査で、「ものごとを遠回しにいう」と答えた京都府民は80%弱いる。京都府民も認める、わかりにくかったり曖昧ともとれたりする物言いや、よそ者に冷たい気質が生まれたのはなぜだろう。
岩中祥史氏の『新・出身県でわかる人の性格』(草思社文庫)では、「常に意思表示をはっきりさせていると権力者が突然変わったときに痛い目をみるかもしれない」といった長い歴史を経た教訓や、多くの観光客を相手にする中で「はっきりものをいうと損をするかもしれない」と考えるようになったことを理由としてあげている。
また、武光誠氏の『知っておきたい日本の県民性』(角川ソフィア文庫)では、京都の人の「自分勝手なことをして他人に迷惑をかけないが、よそから面倒を持ち込まれるのを嫌う」といった「独特の個人主義」について、「平安時代半ばの藤原政権のときに、摂政、関白といった地位ができたことにより、京都では商工民にも差別意識や排他性が生まれた」といったことが書かれている。つまり、こと京都市内では、長い歴史があるからこそ、「深入りしすぎない節度を持った付き合いをしておくのが無難」といった「お互いにはっきり言いあわずに察する」県民性が根付いていったということだろう。
慣れないと京都の人との付き合いは緊張感が生まれるが、それでも多くの日本人が京都に惹かれるのはなぜか。歴史的建造物が多いことはもちろんだが、「新しいもの」についても敏感な土地柄だからではないだろうか。
日本の中心地として全国初の路面電車や水力発電、映画上映、近代小学校など、さまざまな日本初を導入してきた京都は、いまも伝統に甘んじていない。町家を改築して多くの観光客が宿泊できる宿にしたり、コーヒーやパンの消費量が全国一位(総務省「家計調査」2016年)とあって、新しい店が次々とできたりしている。「伝統を受け継いで変えないもの」と「新しく取り入れていくもの」のバランス感覚に優れているのも、京都の人たちの気質であり、その両方が叶うのは長い歴史のある京都しかない。それが全国の人たちが京都に憧れる理由であるし、羨望を受けることが京都人のプライドになっているといえるだろう。
※別コラム「半蔵紀行」でも京都府を紹介しています。
2020年2月25日
武元康明