なぜうなぎを紹介するのか?
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うなぎ料理店 しきしま沖縄県/宮古島市1985年前後 創業
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御食事処 たいよう沖縄県/宮古島市1975年前後 創業
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鰻屋 兆沖縄県/那覇市2017年 創業
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うなぎ 鰻作沖縄県/浦添市1976年 創業
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鰻 寿司 日本料理 彦沖縄県/那覇市1979年 創業
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ぼんぼん沖縄県/那覇市1989以前 創業
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只喜(舟蔵の里)沖縄県/石垣市1975年 創業
*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。
半蔵の心得・半蔵紀行
(うなぎコラム)
出張時に食べ続けているもの
社会人になり約30年。午前は九州、午後は北海道…などと、日夜列島各地を飛び回り、東京で過ごしている日数のほうが少ない。
「出張時はご当地の美味しいものを食べる」という方もいるかもしれないが、私が社会人になってからずっと実践しているのは「うなぎ屋に行く」ことだ。
当然、単純にうなぎが好きという理由もある。しかし、もっとちゃんとした背景もあるのだ。
出張が多くなり、日本各地で食べることができて、かつ店ごとの違いを比較できる食文化は何かないだろうか、と考えるようになった。寿司屋はいたるところにあるが、海に面していない地域もあり必ずしも地元の魚を提供されるわけではない。蕎麦やうどんでは地域ごとの変化を見つけるのは難しい…この問答を続けた結果、うなぎにたどり着いたのである。
関西風は腹側から切って蒸さずに焼き、関東風は背側から切って蒸してから焼く。こうしたうなぎの調理法の違いがあるのは有名だ。とはいえ、全国で食べ比べをする程違いはないのでは?と思う方もいるだろう。しかし実は、各店でタレに使う醤油・ミリンが違い、全国で食べ比べをすると味の違いが如実に出るのだ。
また、私が出張先でうなぎ屋に出会う確率が高いということも理由の一つである。うなぎ屋は元宿場町や元城下町に多いのだが、江戸時代に栄えていた町は現代でも企業が集まりやすい。
行った店の箸袋などを持ち帰ってリストにしているので、見返す楽しみもある。
(全箸袋を公開中)
ところで、うなぎをタレで食べるようになったのは、江戸時代とされている。
うなぎ自体は昔から滋養に効果がある栄養食材として知られていて、『万葉集』では大友家持が夏痩せした友人・石麻呂さに「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものそ 鰻捕り喫(め)せ」(万葉・一六・三八五三)とうなぎを勧めている。この当時はかば焼きの調理法はなく、単に煮たり焼いたりしていたようだ。
それが江戸時代になるとうなぎ専門店ができてタレが誕生する。酒の肴から丼や重スタイルへと進化していったようだ。タレも、肴として醤油と酒と山椒味噌を煮詰めたものから始まって、ごはんに合うように味醂が加わるようになった。
土用の丑の日にうなぎを食べる風習ができたのも江戸時代。丑の方角を表す北北東を守る「玄武」が黒い神様だったため、「それにあやかって黒いうなぎを食べて元気を取り戻そう」とうなぎ屋の宣伝をしたところ、ヒットしたようだ。実際、うなぎだけではなく、黒ゴマ、黒豆、玄米、黒砂糖など、黒い食べ物には体にいいものが多い。
出張が続くと体調を崩しやすくなる方もいるかもしれないが、私はいたって元気。その秘訣は、各地で味わううなぎにあるのかもしれない。
2019年9月10日
武元康明
沖縄県の県民性
時間にルーズと言われるが、人には律儀な沖縄県民
古来からアジア各国との交易が盛んに行われていた、琉球王国(現在の沖縄県)。琉球王国ができたのは、日本の室町時代にあたる1429年。その後、奄美諸島や宮古列島、石垣諸島を支配下にしていくが、1609年の薩摩藩侵略によって、琉球は薩摩藩の支配下に置かれるようになる。廃藩置県後の1879年に琉球王国は崩壊、日本の沖縄県となるも、第二次世界大戦では沖縄本島が日本で唯一の地上戦が行われた戦場と化し、多数の死者や犠牲者が出る。戦後アメリカの統治時代を経て、1972年に日本に復帰した。
ざっと振り返ってみても、沖縄県はそもそも日本とは違う国であるし、文化や生活習慣も違うので、県民性が違うのも当然である。
沖縄の人が自分たちのことを「うちなんちゅ/しまんちゅ(島の人)」と呼び、日本の本土の人たちのことを「ないちゃー(内地の人)/やまとんちゅ(大和の人)」と区別するのも、強固な郷土愛と、沖縄人同士の結びつきを大事にするのも、こうした歴史があるからにほかならない。
とはいえ、多くの「ないちゃー」が沖縄に魅かれ、何度も旅行に出向いたり移住したりするのは、沖縄の豊かな自然の魅力だけでないだろう。歴史的なわだかまりを抱えていたとしても、多くの沖縄県民が決して「ないちゃー」に対して冷たくなく、おおらかに向かい入れてくれるからだろう。そしてこれこそが、沖縄県民気質といえるのではないだろうか。
例えば、沖縄の人たちの気質としてよく例に出される「なんくるないさ(=なんとなかなるよ)」の精神。「失業率」「離婚率」の高さが上位の沖縄だが、沖縄の人たちはお金がなくても、仕事がなくても、離婚をしても、「なんくるないさー」と言って、助け合う。
「沖縄の人は実はシャイだ」と言われるが、酒を酌み交わせて食べて踊れば、壁は一気に取り崩され、ないちゃーでも受け入れてもらえる。
仲間同士、人と人とのつながりがしっかりあるから、沖縄の人は「挨拶はしっかりする」「義理がたい」といった一面も併せ持っている。「ラテン系気質で時間にルーズ。飲み会の開始時間から準備を始める」といった例え話も耳にするが、自分が受け入れた人に対してはあくまでも律儀なのだ。
そして、時間にルーズなのも、皆が気にしなければネガティブなことではないし、ストレスなく生きているというようにも考えられる。現に、世界のラテン系の国々を見ても、ホームパーティの開始時間くらいから、用意を始めるのが一般的という国はある。そういった国では時間ぴったりに行ったのに、受け入れ側が準備中だった、といったこともあるのだ。
こうして考えると、都会に生きる多くの日本人が効率性ばかりを重視して、人間関係が希薄になったり、「〇〇でなければいけない」にがんじがらめになり、ストレスばかりを抱えるようになっているいま、沖縄の人たちのおおらかさと濃い人間関係に学ぶことは多いのかもしれない。
2020年4月27日
武元康明
※別コラム「半蔵紀行」でも沖縄県を紹介しています。