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半蔵うなぎ街道

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佐賀県
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  • 本吉屋
    佐賀県/佐賀市
    1945年 創業
  • うなぎ蒲焼 本家  木原鰻屋
    佐賀県/佐賀市
    1960年前後 創業
  • 大橋うなぎ屋
    佐賀県/佐賀市
    1921年前後 創業
  • 専門店 田中屋うなぎ
    佐賀県/鳥栖市
    1965年前後 創業
  • 瀬田焼 本庄うなぎ屋
    佐賀県/佐賀市
    1972年前後 創業
  • うなぎ すき焼 竹屋
    佐賀県/唐津市
    1968年以降 創業

*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。

佐賀県の県民性

武士道の精神でアピール下手?地味さが目立つ佐賀県

倒幕から明治維新を経て明治政府の礎を築いたとされる「薩長土肥」。「薩摩、長州、土佐」ばかりが注目されがちだが、最後の「肥」とは「肥前」であり、地域は現在の佐賀県と長崎県(対馬市・壱岐市を除く)にあたる。第八代内閣総理大臣で早稲田大学を創設した大隈重信や、司法制度整備、民法制定などに尽力した江藤新平は佐賀県出身者だ。

「有田焼・伊万里焼、波佐見焼、唐津焼」といった焼き物、日本最大級の弥生時代の集落を残した「吉野ヶ里遺跡」、ユネスコ無形文化遺産にもなっている祭り「唐津くんち」、「呼子のイカ」など、名前を聞けば「ああそうか。それも佐賀県ですね」と言われるような有名なものがたくさんある。

それにもかかわらず、「九州九県のなかでも一番最後に名前があがる地味な県」といわれるし、数年前にはお笑いタレントのはなわさんが佐賀県にまつわることを自虐的に歌い紅白出場までしたが、それでも佐賀県が九州一目立つことはまずない。

なぜ佐賀県は地味なのか、それは県民性のあらわれではないだろうか。

佐賀県民の県民性は「真面目、保守的、頑固、融通が利かない、几帳面」「倹約」などといわれる。これは江戸時代初期の1600年代から幕末まで佐賀藩を納めていた鍋島家の影響が大きい。

二代目藩主の側近・山本常朝の口述を田代陣基に聞き書きさせた『葉隠(鍋島論語)』は、「鍋島家への奉公を人生の第一の目的とし、主君への忠誠のなかに安心立命の境地を見出そうとするもの」(祖父江孝男『県民性の人間学』ちくま文庫より)だ。佐賀県では戦時中までこれを学校で唱えさせていた。また、江戸時代は藩士の他藩との交流を禁じた「鎖国藩」で、また10代藩主の直正の頃は藩士や庶民に倹約を徹底させた。

つまり、保守的で律儀で融通が利かない性格や質素倹約の生活は、鍋島家への忠誠を尽くした武士道の精神が、庶民にも行き渡った結果といえるわけだ。

さて、最後に鍋島家のトリビアを。東京・渋谷の一等地「松濤」のいわば生みの親が鍋島家ということを、どのくらいの人がご存知だろうか。最後の藩主となった鍋島直大は、明治に入ってから紀州藩徳川家下屋敷だった土地を買い上げ、失職した武士たちを雇って「松濤園」という名前の茶園を作った。関東大震災後に住宅地として分譲されることになるが、その際、「松濤」がそのまま地名として採用された。松濤にある「松濤鍋島公園」は、現在は渋谷区が管理しているが、松濤園の一部を公園にしたものだ。

2020年7月27日

武元康明

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