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半蔵うなぎ街道

なぜうなぎを紹介するのか?

半蔵が持ち帰ったうなぎ屋の箸袋は、本日現在12軒です

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滋賀県
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  • う晴
    滋賀県/大津市
    2008年前後 創業
  • きた川
    滋賀県/野洲市
    2017年 創業
  • 割烹・仕出し うなぎ  辻よし
    滋賀県/守山市
    1982年前後 創業
  • うなぎや源内 GEN-NAI
    滋賀県/彦根市
    2011年前後 創業
  • 中外
    滋賀県/甲賀市
    2000年 創業
  • 想古亭 源内
    滋賀県/長浜市
    1910年以前 創業
  • 西友本店
    滋賀県/高島市
    1938年 創業
  • うなぎ料亭 山重 室町創業
    滋賀県/大津市
    1619年前後 創業
  • うなぎ・ひつまぶし 炭櫓
    滋賀県/近江八幡市
    2002年 創業
  • 大谷茶屋
    滋賀県/大津市
    1969年 創業
  • ちか定
    滋賀県/大津市
    1973年 創業
  • 日本一のうなぎ 逢坂山 かねよ
    滋賀県/大津市
    1872年 創業

*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。

滋賀県の県民性

正直・勤勉が成功の秘訣。商売人のルーツは近江

京都府に隣接し、いまいち存在感が薄いといわれがちな滋賀県。しかし、約400万年前にできた日本最大の湖、琵琶湖があったり、全国的にも有名なブランド牛の近江牛があったり、鎌倉・室町時代以降、商才に長けた「近江商人」が生まれたりと、探さずとも自慢できるものがすぐ思い浮かぶ県である。

考えてみれば日本列島のほぼ真ん中あたりにあり、東海道、中仙道、北国街道などの陸路と、日本海側から琵琶湖を経由して京都をつなぐ水路、両方の交通の要路があった近江は、昔から情報も人もモノも入ってきやすい立地だった。加えて、江戸時代の近江は彦根藩と膳所藩と幕府直轄の天領を除いても、小藩が数十藩もひしめきあっていた。小藩は藩内だけで経済発展が見込めないために、領域外に出て行きやすかったことも、商人たちにとっては都合がよかった。近江商人たちは当初、近江の物産である麻布、カヤ、畳表などを天秤に載せて売り歩き、帰りはその土地のものを買いつけて売りながら近江に戻る、ということを繰り返すことで儲けていった。

文化人類学者の祖父江孝男氏の『県民性の人間学』では、近江商人は「正直、堅実」「倹約、勤勉」「信用、商品吟味(よい品物を選んで売ること)」をモットーとしていたが、成功を収められた理由として、「近江商人たちは社交的に見えても情に流されず、どんな事態にも冷静さを失わない」、といった性格を持ち合わせていたことをあげている。

近江商人が大坂や江戸で出店すると、そこに近江出身者が奉公に出て、いずれ独立して……と、全国各地に近江出身の商売人が増えていった。大坂商人のルーツは近江商人であるし、伊勢商人は大坂から移り住んだ商人たちがルーツである。そう考えると、正直・勤勉でまっとうな商売をして成功した日本人の「商売人の血」は、近江からはじまっているといっても過言ではない。

伊藤忠と丸紅、髙島屋、西武ホールディングス、ワコール、日本生命保険相互会社、ヤンマー、西川産業……と、現在も続く名だたる企業の創業者が滋賀県出身ということからも、近江商人が単なる利益第一主義ではなかったことがうかがえる。

近江商人の成功のベースには、近江の人たちの「正直・勤勉」な性格があってこそ。近江商人の経営哲学の一つに「三方よし」がある。いい商売とは、売り手,買い手、社会にとっていいことという考え方だ。企業の社会的責任が重視されるようになった現代、あらためて近江商人の経営哲学を学びなおしてみることも必要かもしれない。

※別コラム「半蔵紀行」でも滋賀県を紹介しています。

2020225

武元康明

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