なぜうなぎを紹介するのか?
-
う晴滋賀県/大津市2008年前後 創業
-
うなぎや源内 GEN-NAI滋賀県/彦根市2011年前後 創業
-
きた川滋賀県/野洲市2017年 創業
-
割烹・仕出し うなぎ 辻よし滋賀県/守山市1982年前後 創業
-
西友本店滋賀県/高島市1938年 創業
-
中外滋賀県/甲賀市2000年 創業
-
想古亭 源内滋賀県/長浜市1910年以前 創業
-
大谷茶屋滋賀県/大津市1969年 創業
-
うなぎ料亭 山重 室町創業滋賀県/大津市1619年前後 創業
-
うなぎ・ひつまぶし 炭櫓滋賀県/近江八幡市2002年 創業
-
日本一のうなぎ 逢坂山 かねよ滋賀県/大津市1872年 創業
-
ちか定滋賀県/大津市1973年 創業
*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。
半蔵の心得・半蔵紀行
(うなぎコラム)
出張時に食べ続けているもの
社会人になり約30年。午前は九州、午後は北海道…などと、日夜列島各地を飛び回り、東京で過ごしている日数のほうが少ない。
「出張時はご当地の美味しいものを食べる」という方もいるかもしれないが、私が社会人になってからずっと実践しているのは「うなぎ屋に行く」ことだ。
当然、単純にうなぎが好きという理由もある。しかし、もっとちゃんとした背景もあるのだ。
出張が多くなり、日本各地で食べることができて、かつ店ごとの違いを比較できる食文化は何かないだろうか、と考えるようになった。寿司屋はいたるところにあるが、海に面していない地域もあり必ずしも地元の魚を提供されるわけではない。蕎麦やうどんでは地域ごとの変化を見つけるのは難しい…この問答を続けた結果、うなぎにたどり着いたのである。
関西風は腹側から切って蒸さずに焼き、関東風は背側から切って蒸してから焼く。こうしたうなぎの調理法の違いがあるのは有名だ。とはいえ、全国で食べ比べをする程違いはないのでは?と思う方もいるだろう。しかし実は、各店でタレに使う醤油・ミリンが違い、全国で食べ比べをすると味の違いが如実に出るのだ。
また、私が出張先でうなぎ屋に出会う確率が高いということも理由の一つである。うなぎ屋は元宿場町や元城下町に多いのだが、江戸時代に栄えていた町は現代でも企業が集まりやすい。
行った店の箸袋などを持ち帰ってリストにしているので、見返す楽しみもある。
(全箸袋を公開中)
ところで、うなぎをタレで食べるようになったのは、江戸時代とされている。
うなぎ自体は昔から滋養に効果がある栄養食材として知られていて、『万葉集』では大友家持が夏痩せした友人・石麻呂さに「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものそ 鰻捕り喫(め)せ」(万葉・一六・三八五三)とうなぎを勧めている。この当時はかば焼きの調理法はなく、単に煮たり焼いたりしていたようだ。
それが江戸時代になるとうなぎ専門店ができてタレが誕生する。酒の肴から丼や重スタイルへと進化していったようだ。タレも、肴として醤油と酒と山椒味噌を煮詰めたものから始まって、ごはんに合うように味醂が加わるようになった。
土用の丑の日にうなぎを食べる風習ができたのも江戸時代。丑の方角を表す北北東を守る「玄武」が黒い神様だったため、「それにあやかって黒いうなぎを食べて元気を取り戻そう」とうなぎ屋の宣伝をしたところ、ヒットしたようだ。実際、うなぎだけではなく、黒ゴマ、黒豆、玄米、黒砂糖など、黒い食べ物には体にいいものが多い。
出張が続くと体調を崩しやすくなる方もいるかもしれないが、私はいたって元気。その秘訣は、各地で味わううなぎにあるのかもしれない。
2019年9月10日
武元康明
滋賀県の県民性
正直・勤勉が成功の秘訣。商売人のルーツは近江
京都府に隣接し、いまいち存在感が薄いといわれがちな滋賀県。しかし、約400万年前にできた日本最大の湖、琵琶湖があったり、全国的にも有名なブランド牛の近江牛があったり、鎌倉・室町時代以降、商才に長けた「近江商人」が生まれたりと、探さずとも自慢できるものがすぐ思い浮かぶ県である。
考えてみれば日本列島のほぼ真ん中あたりにあり、東海道、中仙道、北国街道などの陸路と、日本海側から琵琶湖を経由して京都をつなぐ水路、両方の交通の要路があった近江は、昔から情報も人もモノも入ってきやすい立地だった。加えて、江戸時代の近江は彦根藩と膳所藩と幕府直轄の天領を除いても、小藩が数十藩もひしめきあっていた。小藩は藩内だけで経済発展が見込めないために、領域外に出て行きやすかったことも、商人たちにとっては都合がよかった。近江商人たちは当初、近江の物産である麻布、カヤ、畳表などを天秤に載せて売り歩き、帰りはその土地のものを買いつけて売りながら近江に戻る、ということを繰り返すことで儲けていった。
文化人類学者の祖父江孝男氏の『県民性の人間学』では、近江商人は「正直、堅実」「倹約、勤勉」「信用、商品吟味(よい品物を選んで売ること)」をモットーとしていたが、成功を収められた理由として、「近江商人たちは社交的に見えても情に流されず、どんな事態にも冷静さを失わない」、といった性格を持ち合わせていたことをあげている。
近江商人が大坂や江戸で出店すると、そこに近江出身者が奉公に出て、いずれ独立して……と、全国各地に近江出身の商売人が増えていった。大坂商人のルーツは近江商人であるし、伊勢商人は大坂から移り住んだ商人たちがルーツである。そう考えると、正直・勤勉でまっとうな商売をして成功した日本人の「商売人の血」は、近江からはじまっているといっても過言ではない。
伊藤忠と丸紅、髙島屋、西武ホールディングス、ワコール、日本生命保険相互会社、ヤンマー、西川産業……と、現在も続く名だたる企業の創業者が滋賀県出身ということからも、近江商人が単なる利益第一主義ではなかったことがうかがえる。
近江商人の成功のベースには、近江の人たちの「正直・勤勉」な性格があってこそ。近江商人の経営哲学の一つに「三方よし」がある。いい商売とは、売り手,買い手、社会にとっていいことという考え方だ。企業の社会的責任が重視されるようになった現代、あらためて近江商人の経営哲学を学びなおしてみることも必要かもしれない。
※別コラム「半蔵紀行」でも滋賀県を紹介しています。
2020年2月25日
武元康明