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半蔵うなぎ街道

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徳島県
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  • お食事処  天野屋
    徳島県/鳴門市
    1975年 創業
  • 日本料理・うなぎ・ふぐ  山口屋
    徳島県/徳島市
    1980年 創業
  • 徳島県/鳴門市
    2014年前後 創業
  • うなぎの藤崎屋
    徳島県/鳴門市
    1992年 創業
  • 吉や
    徳島県/徳島市
    2015年 創業
  • 鰻料理 うな久
    徳島県/徳島市
    1989年以前 創業
  • あじどころ うなぎや
    徳島県/板野郡
    1969年前後 創業
  • うなぎ いぬぶし
    徳島県/板野郡
    1984年前後 創業

*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。

徳島県の県民性

阿波踊りと徳島県の県民性

徳島県の有名なものといえば、「阿波踊り」をイメージされる方も多いのではないだろうか。実際に阿波踊りを見たことがなくても、「踊る阿呆に見る阿呆 どうせ阿呆なら踊らにゃ損々」とか「えらいやっちゃ えらいやっちゃ よいよいよいよい」といった軽快な曲や歌詞をどこかで聞いたことがある、という方もいるだろう。

多くの県民性の本には、徳島県人の気質として「質素倹約、勤勉、商売上手、実利主義」と書かれている。400年以上の歴史を持つ阿波踊りは、少なからずこの県民性に影響を与えているのではないか。

そう考えて阿波踊りの起源を調べてみると、盆踊りから派生したという説、父の代わりに徳島藩祖となった蜂須賀家政が築城の際に無礼講で場内での踊りを許したという説、蜂須賀になって質素倹約が強化されたため、年に一度のガス抜き(不満解消)のために始まったという説、特産品の藍を買い付けに来た藍商人から、上方の演劇や芸能といった文化が入ってきたという説……など諸説あり、まさにここに江戸時代の徳島(阿波)の歴史があった。

太平洋側に位置するものの、山脈で香川(讃岐)や高知(土佐)との往来がしにくかったため、海路で大坂をはじめとする上方との交流が盛んだった徳島(阿波)。一級河川の吉野川が氾濫するために稲作は難しい土地だったが、代わりに藍染に使う植物の藍を栽培したところうまくいった。川が氾濫する時期より前に収穫ができたからだ。麻から綿に服の素材が変わり、藍が庶民の服にも使われるようになると、藍で莫大な富を得る農家や商人が出始める。また藍を買い付けに来た取引先を接待することで地元の経済も活性化し、藍が重宝された明治時代半ば頃までは、徳島は全国有数の都市として栄えていったようだ。

商人たちは商売上手な大坂で商売人根性を鍛えられただろうし、藩から倹約生活を強いられ、それが身に着けばお金は貯まる。そうやって冒頭にあげた「質素倹約、勤勉、商売上手、実利主義」の県民性が形成されていった。貯まっていくお金は阿波踊りの資金となり、阿波踊りで「阿呆」になって踊ることで人々の不満も解消される。それが、阿波踊りが華やかで賑やかな祭りになっていった経緯なのではないだろうか。

手足の動かし方がシンプルで踊りやすく、冒頭のノリのいいフレーズで見ているほうも楽しい気分になる阿波踊り。とはいえ、このテンポで自分が踊るのは気恥しいと感じる方もいるかもしれない。太平洋に面した徳島県人は、海沿いの地域に住む人の特性と同じく、元来は陽気な気質を持っているように思う。商売上手な徳島県人とは、お互い「阿呆」になって腹を割ったつきあいをしていくことで信頼関係を築きたい。

2020年11月30日

武元康明

  • お食事処  天野屋
  • 日本料理・うなぎ・ふぐ  山口屋
  • 岡
  • うなぎの藤崎屋
  • 吉や
  • 鰻料理 うな久
  • あじどころ うなぎや
  • うなぎ いぬぶし
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