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半蔵うなぎ街道

なぜうなぎを紹介するのか?

半蔵が持ち帰ったうなぎ屋の箸袋は、本日現在9軒です

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山形県
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  • 御食事処  鰻六
    山形県/山形市
    1976年前後 創業
  • 割烹 つたや
    山形県/新庄市
    1891年 創業
  • 寿司 うなぎ  依田善
    山形県/東田川郡
    2011年 創業
  • 鰻・郷土料理  あげつま
    山形県/山形市
    1782年 創業
  • 蒲焼  可奈免
    山形県/米沢市
    1869年以前 創業
  • 鰻 染太
    山形県/山形市
    1948年 創業
  • うなぎ蒲焼 若林
    山形県/鶴岡市
    1977年 創業
  • 割烹 玉勘
    山形県/酒田市
    1839年以前 創業
  • うなぎ 一心亭
    山形県/天童市
    1976年 創業

*創業年は店舗ホームページや店主・従業員に確認した情報を基に、西暦表示しています。

山形県の県民性

庄内エリアは新しいものにも敏感に対応

山形県は内陸と日本海側で県民性に違いがある。現在の山形市・米沢市をはじめとする内陸部は「保守的で堅実」、現在の酒田市・鶴岡市(荘内エリア)をはじめとする日本海側のほうが「大らかで都会的」といわれる。

内陸側は降雪量の多い豪雪地域でありながら、夏も太平洋側から奥羽山脈にあたる湿った風が引き起こすフェーン現象により、温度が上がる。1933年の7月25日に山形市で記録された40.8度という気温は、2007年まで日本一暑かった日として記録を破られることがなかったほどだ。寒暖差の激しいなか農業を営んできた内陸の人たちには、家族や地域で団結しながら辛抱強く生き抜く力が育まれた。それが保守的で堅実な県民性といわれるようになった由縁だと思う。

一方、日本海側は江戸時代に「北前船」の港として栄えた酒田がある。山形県だけを流れる最上川の河口にも位置する酒田は、紅花から作る紅餅や米をはじめとした内陸で育てた農作物を酒田まで運び、そこから北前船に乗せて京に運んだ。帰りの船では古着、塩、魚、お茶などが京から運び込まれたため、日本海側には新しい文化が入ってきやすく、おおらかで都会的な県民気質が生まれたと考えられる。

北前船で財を成し、日本一の大地主になった豪商・本間家は、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗謡でうたわれたほどという話からも、酒田の繁栄ぶりがうかがえる。北前船でなした財は庄内藩の財政も支えた。

庄内藩は江戸時代を通じて藩主の領地替えがなく、酒井家が藩主であり続けた稀有な土地だ。その地で本間家は酒井家を財政面で支え、ときには藩政改革を任されるほどだったという。実際、本間家の財力があってこそ領民も藩主を慕い、藩の団結力も高まったようだ。1840年に一度藩主が領地替えを命じられたときにも、領内で百姓一揆が起こったり、領民らが何度も江戸や周辺の藩に直談判しに行ったりして、領地替えを免れた。戊辰戦争では朝敵として新政府軍から攻撃を受けることになるが、このときにも領民も一丸となって戦っている。

戊辰戦争で敗れた庄内藩だが、武士たちは刀を鍬に持ち替え、原生林を開墾し桑の栽培を行ったことが、国産シルクの生産にもつながっている。国内で養蚕から絹製品完成までの工程を一貫してできるのは、現在では鶴岡だけだ。また鶴岡市には慶應義塾大学先端生命科学研究所があることから、ベンチャー企業も続々と生まれている。

こうして考えていくと、現在の庄内エリアは、コツコツと堅実な山形県民の特徴がベースにありながら、日本海側の新しいものを受け入れやすい都会的な感性があわさっており、地方にありながら、新たなビジネスが生み出される注目のエリアと言えるのではないだろうか。

20191111

武元康明

  • 御食事処  鰻六
  • 割烹 つたや
  • 寿司 うなぎ  依田善
  • 鰻・郷土料理  あげつま
  • 蒲焼  可奈免
  • 鰻 染太
  • うなぎ蒲焼 若林
  • 割烹 玉勘
  • うなぎ 一心亭
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